-
よい聴き手でありなさい神権宣教学校案内書
-
-
20 個人研究に費やす時間はかなり限られているにしても,わたしたちすべては会衆の集会で多くを聴く機会を持ちます。それで,ものを聴くという特性はなんと重要なのでしょう! しかも,わたしたちが聞くのは,エホバにささげる奉仕とわたしたちのとこしえの命にかかわる事がらですから,イエスの助言はきわめて適切であるといわねばなりません。「あなたがたは,どのように聴くかに注意を払いなさい」― ルカ 8:18。
-
-
『公に読むことに専念しなさい』神権宣教学校案内書
-
-
研究 6
『公に読むことに専念しなさい』
1,2. 公に朗読する機会は,いつ差し伸べられますか。
1 使徒パウロは,「公に読むこと……に専念しつづけなさい」とテモテに勧め,また,読むことのほかに,宣教をするのに必要な他の特質について,仲間のクリスチャン奉仕者に教えるよう,テモテに命じました。(テモテ前 4:13)霊感を受けたその助言は,今日の神の奉仕者各人にも適切ですから,その助言に留意するのはよいことです。
2 神権的な奉仕者は,公に読むことをしばしば求められます。「ものみの塔」研究や会衆の書籍研究では,聖句や節を読まねばなりません。奉仕会や神権宣教学校はもとより,野外宣教においても,聖書の聖句が読まれます。ですから,すぐれた仕方で公に読めるようになるのは,奉仕者各人の益となるだけでなく,聴く人々にも益をもたらします。
3. 準備はなぜたいせつですか。
3 公に読むとは,他の人々の益のために,声を大きく出して読むことです。しかし,朗読者が,ことばにつまずいたり,区切り方を誤ったり,強調する箇所をまちがえて,文意をあいまいにしたりするなら,聴いている人は,はたして十分の益を受けられるでしょうか。朗読者が熱意の乏しい単調な読み方をするなら,聴いている人々は,はたして注意を払うでしょうか。集まりの中で上手に読むには,準備が必要です。会衆の
-