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御国のわざの資金はどのように得られるかものみの塔 1960 | 8月1日
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することは特権であります。それぞれの場所の会衆の集会場すなわち御国会館の経費を援助することができます。どの御国会館にも寄付箱が備えつけられており,寄付額を他の人に知らせずに自発的な寄付をすることができます。会衆に金銭を懇願することもなく,寄付徴収用の香水のつけられた封筒が送られることもなく,寄付の約束を尋ねることもありません。エルサレム内のやもめや他の者たちが任意の寄付をしたと同じように,エホバの証者の各会衆に属する人々は,御国会館に備えられている寄付箱の中に,寄付できると感ずる額を自発的に投げいれます。
協会の支部に直接なされる任意の寄付は,その国内およびその支部の管轄下にある国々の神権的な活動を支持します。そのような寄付は,支部や宣教者の家の経営費をまかない,野外の特別開拓者を援助し,大会の開催を援助し,わざを弁護するための法律上の費用をまかない,そして他の出費にあてがわれます。それぞれの国の証者たちは,自分たちの御国会館を維持するだけでなく,このような経済的な負担をもよろこんでにないます。他の国々にいる霊的な兄弟たちが,そのことをしてくれるなどと依存しません。
どの証者も,その寄付の額がどんなにすくないものであろうと,御国のわざの資金を出したいと欲します。エホバの証者は,使徒パウロの与えた次のさとしの言葉を十分に認識しています,「各自は惜しむ心からでなく,またしいられてでもなく,自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである」。―コリント後 9:7,新口。
協会は1年間の経費計画を立てるため,エホバの証者と興味を持つ人々がだいたいどの位の金額を寄付し得るかを知ることが必要です。人々の約束するものは言質というものでなく,ただ1年間に寄付し得ると希望する額を見積るだけです。それを寄付の見込みと呼んで下さい。それはコリント人のなしたような自発的な約束です,「わたしは兄弟たちを促して,あなたがたの所へ先に行かせ,以前あなたが約束していた贈り物の準備をさせておくことが必要だと思つた」。―コリント後 9:5,新口。
次の12ヵ月間,ものみの塔協会に1回かそれ以上の寄付をしたいと思われるなら,あなたの国内にある支部事務所に葉書か手紙を送り,神の御国を伝道するわざを援助するため寄付したい額を知らせて下さい。それに「寄付の見込み」としるしづけて下さい。この号の「ものみの塔」の裏表紙には,いくつかの協会事務所の住所が記されています。協会の全部の支部事務所の住所は,ものみの塔協会の本と冊子の最後の頁に出ています。日本では,東京都港区芝三田豊岡町1番地のものみの塔聖書冊子協会に御連絡下さい。この事項にすぐ答え応じていただけるなら,協会がその活動を計画する際の助けとなります。
ものみの塔協会の施設とわざの資金が,どのように供給されているかは,秘密のことではありません。ものみの塔協会は,キリスト教国のしているような募金計画を立てません。しかし,聖書教育という大規模な博愛的な仕事をして行くことができます。なぜなら,エホバの証者と興味を持つ人々は,自分の財宝を自発的に寄付するからです。―歴代志上 29:17。
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読者よりの質問ものみの塔 1960 | 8月1日
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読者よりの質問
● 特定な状況によつては,クリスチャンが真実のことを語らねばならぬという義務に例外が設けられますか,という質問の手紙が協会に時折り送られてきます。その質問に対する答をいたします。
神の御言葉は,次のように命じています,「おのおの隣り人に対して,真実を語りなさい」。(エペソ 4:25,新口)しかし,誰れでも彼れでも,その尋ねること全部に答えねばならない,という意味ではありません。知るべき立場と資格を持つ人には真実のことを言わねばなりません。しかし,その資格を持たない人には,言わなくてもすみます。しかし,嘘を言つてはなりません。
それですから,伝道者の記録カードに正しい記入をするため,姉妹は自分の年齢を正直に知らせなければなりません。それは,知る権利という権限内に入るからです。そのことを正直に知らせることを恐れるのは,虚栄と未熟のしるしです。この特定な知らせは,将来の結婚配偶者が重要と考えて尋ねるならば,隠してはなりません。その者も,知る権利を持つています。自分の年齢をかくすかどうかは,状況に応じるものです。
同じ原則は,不治の病気にかかつている患者にも適用します。この患者は,自分の生命の見込みについて診察の結果を知る権利を持つています。その患者にとつて極めて肝要なその知識をさしひかえてはなりません。生きている日数は,たいへんすくなくなり,その毎日は患者にとつて非常に貴重です。そのような者をあざむくことは,信用,理解,そして愛の現われではありません。そして,そのあざむきをする人は,いつも良心の苛責に苦しめられるでしよう。患者がエホバに献身しているなら,自分の死期が神の御手にゆだねられていることを認識しています。そして,死ぬことについて病的な恐れを持たず,むしろ復活の希望によつて自分自身を強めます。親切心からそのような知らせを与えなかつたある人
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