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  • 『死はもはやない』
    ものみの塔 1960 | 4月15日
    • 人間だけに適用されるものです。

      では,死がなくなつた時に,ある人が反逆的になつたならどうなりますか。その人の生命を終わらせる方法はないでしようか。もちろんあります。死がなくなるということは,誰かが悪くなつても滅ぼされないという意味ではありません。聖書はこう述べています,『死もハーデスも火の池に投げ込まれた。この火の池は第二の死を意味する』。(黙示 20:14,新世)このことから,火の池で象徴されている死は,人間にとつて不可避なものではないが,いつでもありうるということが明らかになります。人が最高主権者に服従する限り死ぬことはないでしよう。火の池に投げ込まれて滅ぼされる死というのは,アダムの罪のためにすべての人間に自動的に来る死のことです。神の新しい世で死ぬ人は,アダムの悪のために死ぬのではなくて,自分自身の悪のために死ぬのです。聖書が,『最後の敵として滅ぼされるのが死である』と述べているのは,アダムから受けついだ死のことです。―コリント前 15:26,新口。

      アダムから受けついだ死の滅亡はまた,ハーデスもしくは人類の普通の墓の終りを意味します。墓はもう,生まれた者すべての不可避な将来ではなくなります。また人々をその中に取り込むことをやめるばかりか,そこにいる者を引きとめておかないでしよう。人類の普通の墓に行き,また神の記憶にとどめられている群衆は,復活によつて人間の生命に戻つてくるでしよう。イエスはこのことを約束して次のように言われました『これを怪しむな,記憶の墓にいる者がみな彼の声を聞いて出て来る時が来る。善を行なつた者は生命に復活し,悪を行なつた者は裁きに復活するであろう』。―ヨハネ 5:28,29,新世。

      このなぐさめに満ちた約束は,悲しみに沈む人々に希望を与えます。そして死がもたらす最後という恐ろしい感じを取り除き,死んだ愛する者がもう一度生きかえつて来るという希望を与えます。死人は神によつて復活させられる時が来るまで,ずつと無意識の状態にいます。イエスはこの状態を眠りになぞらえてこう言われました,『わたしたちの友ラザロが眠つている。わたしは彼を起こしに行く』。(ヨハネ 11:11,新口)ラザロを起こして,意識ある存在にたちかえらせたと同じく,イエスは,彼の千年統治期間中に,多くの人々を起こすでしよう。復活させられた人々でも,反逆的な道を選んで,神から不利な裁きを受けるなら,再び死ぬでしよう。その死は彼らにとつて第2の死,永遠の死となります。これが,火の池で象徴されている永遠の死です。

      アダムから受けついだ死の終りは,人間が従順である限り無限に生きられることを意味するからといつて,地球は人口過剰になつてしまうに違いないという結論を下すべきではありません。死を終らせまた死人をよみがえし得る方は,人口過剰を防ぐこともできます。わたくしたちは,全き確信をもつて,死がもはやなくなる時を楽しく待ち望むことができます。なぜなら,それを約束された方は,決してうそを言う方ではないからです。そういう時は,いま住んでいる人々の一生涯のうちに来るのです。

  • 『以前の傾向とは全く反対』
    ものみの塔 1960 | 4月15日
    • 『以前の傾向とは全く反対』

      英国の法律家エフ・ジエイ・ピー・ビールは,「野蛮へ向かつて前進」(英文)という本の中で,「戦争および国際関係の全容」が,1914年以来どのようにすつかり変つたかを論じています。『この発達の目立つ点とは,以前の事件の傾向とは全く反対の方に発達したということである。1914年に至るまでの世代の生活様式は,ある一時的な動揺はともなつたが,だいたいにおいて徐々におだやかになつてきた。そして,特に戦時における原始的で野蛮な手段は,制限や拘束の増加によつて徐々に減少して行つた。これらの制限や拘束の応諾こそ,野蛮な戦争と,開けた戦争との区別を示すものである,と普通考えられている。……行為の法則は徐々に確立され,すべての文明国によつて正式に認められた。1913年に書かれたある戦争史などは,このゆつくりした,変動の多い,しかし全体から見れば着実な,発達の率直な記録である。……2000年以上もつづいてきた,戦争を徐々に改善するこの推移が,突然に,またすつかり逆転したということは,確かに説明を必要とするものである。この場合こそ「画期的」という誇大な表現が,ふさわしいのではなかろうか』と彼は述べています。

      1914年以来なぜわざわいと蛮行が画期的に増加しているかというと,それは,本誌がしばしばくわしく検討してきた通り,わたくしたちは,『苦難の時代が来る』時である『終りの時』に住んでいるからです。―テモテ後 3:1-5,新口。

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