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神の目的とエホバの証者(その15)ものみの塔 1961 | 4月1日
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近代のバビロンから逃れでて,終りのない生命へと導かれるこのような大群集に公けに知らされたことは,この時が始めてでした。この早い頃の知らせを心にとめた人はたくさんいました。
1917年7月に発表された「完成した奥義」はベテルにいる者たちの間に分裂をおこさせ,それが多くの会衆にも及んだということを,覚えていらっしゃることと思います。それにもかかわらず,忠実な残れる者はずっと活発に奉仕し,あとでルサフォードが報告したところによると,7000人の証者は「完成した奥義」を一生懸命に配布していました。j 数にかぞえられなかった人々も冊子や招待ビラを人々の家で配ったり,個人的に口頭で証言しました。
ロイス: 人気のある宗教制度に真向から立ち向うためには,ずい分強い信念が証者には必要でしたね。特に証者が直面したひどい妨害のことを考えるとなおさらですね。
ジョン: この「御国の音信」を国中で配布するには勇気と信仰が必要でした。宗教指導者たちは怒りをおさえきれず,すでにものみの塔協会に対して公然と反対の行動をおこしていました。このうえ更に暴露するなら,もっときびしい迫害が彼らの上にのぞむということは明白でした。しかし人々が自分たちを守るために,事実を知らされねばならぬということを証者は知っていました。つまり,だれでも神の目的に関して自分自身の役目を果たさねばならなかったのです。それで,牧師たちの協会に対する戦いをやめないばあいでも,彼らを暴露することは必要だと認めました。
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真実性ものみの塔 1961 | 4月1日
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真実性
現代の考古学的な発見は,次のことを示しました,「ヨセフの歴史全部は,その詳細にいたるまで,古代エジプトの実際の出来事とまつたく一致していると言わざるを得ない」。―シャーフとヘルゾグ著「宗教の知識の百科辞典」(英文)
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読者よりの質問ものみの塔 1961 | 4月1日
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読者よりの質問
● ルカ伝 24章37-43節でイエスは化肉した霊者ではなく,人間であり,おなかがすいたので弟子たちと一緒に食事をすると言いましたがなぜでしょうか。この場合のイエスは化肉した霊者であると協会は教えていませんか。―アメリカ合衆国の一読者より。
この問に関する聖句はこうです,「彼は恐れ驚いて霊を見ているのだと思った。そこでイエスが言われた,『なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないがあなたが見るとおり,わたしにはあるのだ』。〔こう言って,手と足とをお見せになった〕。彼らは喜びのあまり,まだ信じられないで不思議に思っていると,イエスが『ここに何か食物があるか』と言われた。彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると,イエスはそれを取って,みんなの前で食べられた」。新口。
「ものみの塔」誌の中で,何度も述べられていますが,使徒ペテロがイエスに関して語ったごとく,「肉においては殺されたが,霊においては生かされた」という聖書的な証拠は,たくさんあります。それで私たちはそう結論せざるを得ないでしょう。もし,イエスが肉体のまま復活したなら,天に肉体をたずさえていったことになります。しかし「肉と血とは神の国を継ぐことができないし,朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない」のです。肉の体をもった人間イエス・キリストは「神の栄光の輝きであり,神の本質の真の姿」であることはできません。彼の人間の体は「パンで…世の命のために,〔彼が支え〕…たものでした。彼がその肉体をもって復活させられたとするなら,彼は生命の賜物を取りもどし,人類はあがなわれなかったことになります。―ペテロ前 3:18,コリント前 15:50。ヘブル 1:3,ヨハネ 6:51,新口。
それなら,イエスの言葉をどのように理解すべきでしょうか。弟子たちは,イエスが彼らの中に突然現れたので,幽霊をみているのだと思いました。あらしのために,弟子たちが困っていた時に,イエスが海の上を歩いて彼らの方にくるのを見た時も,やはり彼らは幽霊だと思いました。(マタイ 14:26,27)まだ彼らに受けいれる備えがないことを理解させようとすることより,イエスは単に,彼がお化けとか幽霊でないこと ― 実際に彼はそうではありません ― そして,たしかに彼であるということ,また,彼がそのばあい化肉してたしかに肉体をもっていたということを,彼らに保証しました。言いかえれば,イエスは,それが彼らの想像の結果とか,あるいはだれかほかの者だったというのではなく,正真正銘のイエス ― 死ぬ前に弟子たちが知っていたと同じ ― だということを,確証したのです。
のちになって,弟子たちがその時に国を復興するのか,と質問したときにイエスが答えたことも,これと同じような考えです。(使行 1:6)彼は,彼の国が天的のものであり,イエスと共に,彼らが天から治めるのだと,わざわざ説明しませんでした。このような驚くべき新しいしらせを受けいれる備えが,まだ彼らにはありませんでした。「わたしには,あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが,あなたがたは今はそれに堪えられない」。(ヨハネ 16:12,新口)それでイエスはその時,イスラエルの国を復興する時期は,彼らの知る限りではないと,言われただけなのです。そして,御国は肉的イスラエルに復興されることは決してなく,霊的イスラエルに与えられるということを,あとになって,彼ら自身で悟らせるようにしました。それと同じことが,ルカ伝 24章37-43節に記録された,弟子に対するイエスの言葉についても言えます。彼は自分が霊者として復活させられ,その時は彼らのために肉体をとったのだと,説明しようとはしませんでした。ただ,弟子たちがずっと知っていたそのイエス,その人であるということを強調しただけでした。おなかが空いていたために食物を下さいと言ったのではなく,彼が実在の者であり,単なる想像ではないということを,彼らの心に印象づけるため,言ったにすぎないのです。
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