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  • 「あなたがた自身の中に塩を持ちなさい」
    ものみの塔 1977 | 11月15日
    • わたしたちが内に持つべき「塩」

      22,23 (イ)最後にイエスは,どんな塩づけに言及されましたか。(ロ)イエスは使徒たちに,どんな塩を彼らの中に持つように言われましたか。なぜ彼らにそれを言われましたか。

      22 イエスは塩に関連した話を,不親切な仕方で終えられたのではありません。(マルコ 9:33-49)つづけて次のように言われました。「塩はよいものです。しかし,もし塩がその効きめをなくす[すなわち塩辛さがなくなる]ことがあるなら,あなたがたは何をもってそれに味をつけるのですか。あなたがた自身の中に塩を持ちなさい。そして,互いの間で平和を保ちなさい」― マルコ 9:50および脚注。

      23 実際の塩は調味料として普通よいものです。「味のない物は塩がなくて食べられようか。すべりひゆのしるは味があろうか」とヨブ(6:6,口)は尋ねます。塩は確かに食用となる物を口に合うようにします。しかし,イエスの時代に普通に用いられていた品質の塩は,もしその塩辛い効きめをなくしたなら,それから混じり物を除くことができなかったので,料理用や食用には向かないものになりました。人間がその塩自体に味をつけなおして食用に供することもできませんでした。イエスが塩を例えに使われたのは適切でした。イエスは十二使徒に,「あなたがた自身の中に塩を持ちなさい」と言われました。それにしても,なぜ彼らにそれを言われたのでしょうか。それは,彼らがカペルナウムに帰る途中で議論をし,彼らの中にこの立派なひゆ的塩がないことを露呈したからでした。

      24 そのひゆ的な塩は何ですか。

      24 その種の塩は,他の人を扱う際に品位ある振舞いをさせる,人の持つ性格の特質を表わします。その塩は,人が言うことを,いわば聞く人の口によく合うもの,飲み込みやすいもの,消化しやすいものにします。ですからこれがあると人は,そばにいて気持ちのよい人,望ましい人になります。―箴 16:21,23。

      25 本物の塩を一緒に食べることさえ,どんな有益な結果を生みますか。

      25 主人と客の場合のように,一緒に塩を食べるとき,それを食べる人の間には親しみ,すなわち良い関係が生まれます。塩は雇い人に支払う賃金として用いられたことさえありました。(エズラ 4:14)ひゆ的塩を自分の性格の特色として持っているのは良いこと,また重要なことです。使徒パウロはその点を強調して次のように書きました。「外部の人びとに対しつねに知恵をもって歩み,自分のために,よい時を買い取りなさい。あなたがたの発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけられたものとし,ひとりひとりにどのように答えるべきかがわかるようになりなさい」。(コロサイ 4:5,6)箴言 15章1節にも注目してください。

      26 わしたち自身の中にひゆ的な塩を持つことは,イエスが使徒たちにお与えになったどんな最後の諭しを守るのに助けになりますか。そしてイエスの弟子としてのわたしたち自身にどんな結果が及びますか。

      26 自分の中に塩を持ち,それで自分の言葉を味つけるなら,イエスが十二使徒との話を終えるときに言われたことをするのに,つまり『互いの間で平和を保つ』のに役立ちます。(マルコ 9:50)わたしたちが如才なく振舞い,思いやりを持ち,健全で,人の心をいやすような物の言い方をするなら,キリストの弟子としての互いの平和な関係が促進されることは間違いありません。わたしたちの中に神の霊があることはそれによって明らかになります。「霊の実は,愛,喜び,平和」だからです。(ガラテア 5:22)また,「上からの知恵はまず第一に貞潔であり,ついで,平和を求め」ます。(ヤコブ 3:17)したがって,平和に関するイエスの諭しに従うときには高度の知恵が示されます。それは競争の激しい,分裂した,崩壊しつつあるこの世界のただ中にあって,キリストの真の弟子であることを示すしるしです。それはキリストの支配下に組織された神の民としてわたしたちを団結させるのです。

  • あなたの信仰は生きた信仰ですか
    ものみの塔 1977 | 11月15日
    • あなたの信仰は生きた信仰ですか

      信仰という敬虔な特質は,極めて望ましいものです。(ヨハネ 3:16。コリント第二 5:7。ヘブライ 10:38)とはいえ,信仰には単に信じることだけでなく,それ以上の事柄が含まれています。聖書の筆者であるヤコブは「ああむなしい人よ,あなたは,業を別にした信仰が無活動であることを知りたいと思いますか」と尋ね,次いで,「実に,霊のない体が死んだものであるように,業のない信仰も死んだものなのです」と述べています。(ヤコブ 2:20,26)クリスチャンの信仰は発展しないものであってはならず,地を美しく飾る植物のように,生き続け,成長し続けなければなりません。―テサロニケ第二 1:3。

      神が古代イスラエル人にカナンの地を与えると約束された時に,イスラエル人の取った態度から,この点に関する貴重な教訓を得られます。神は,超人的な支援をイスラエル国民に与えると保証し,次のように言われました。

      「わたしは使をあなたの前につかわし,あなたを道で守らせ,わたしが備えた所に導かせるであろう。あなたはその前に慎み,その言葉に聞き従い,彼にそむいてはならない。わたしの名が彼のうちにあるゆえに,彼はあなたがたのとがをゆるさないであろう。しかし,もしあなたが彼の声によく聞き従い,すべてわたしが語ることを行うならば,わたしはあなたの敵を敵とし,あなたのあだをあだとするであろう」― 出エジプト 23:20-22,口。

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