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20世紀の人類に対する神のあわれみものみの塔 1976 | 6月15日
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んでしたが,ホセアは神の命令に従いました。こんな方法で彼はエホバの預言者としての生涯に入りました。『ここにおいて彼ゆきてデブライムの女子ゴメルを妻にめとりけるがその婦はらみて男子を産り』― ホセア 1:3。
24 エホバはその男の子をなんと呼ぶように言われましたか。なぜですか。
24 この子はホセアの嫡出子で,ホセアが養子にしなければならなかった『淫行の子』ではありませんでした。この息子の誕生から八日目,つまりその子に割礼を施すべき時に,ホセアはその男の子にどんな名前を付けることになりましたか。その男の子の名前は預言的なものになることになっていました。そこで,この預言劇を演出しておられたエホバは,ホセアに代わってその子に名前をお付けになりました。その名前は,エホバの目的の一つを指し示すものでした。『エホバまた彼にいい給いけるは汝その名をエズレルと名づくべし 暫時ありて我エズレルの血をエヒウの家に報いイスラエルの家の国をほろぼすべければなり その日われエズレルの谷にてイスラエルの弓を折るべしと』― ホセア 1:4,5。
25 (イ)こうしてどの王家とどの国に災いが予告されましたか。(ロ)イスラエル国民は,エホバに対しどのように霊的姦淫を犯してはなりませんでしたか。
25 こうして,四代を経ていたエヒウ王の王朝および10部族のイスラエル王国に対し災いが予告されました。この王国は,かつては一つであった12部族のイスラエル王国の広いほうの部分を占めていました。その元のイスラエル国民は,西暦前1513年の昔に,シナイの荒野で,エホバ神と霊的に結婚しました。イスラエルとエホバの間にモーセの律法契約が結ばれたのはその時でした。その結婚契約によると,12部族のイスラエル王国は,エホバだけを自分の神として崇拝し,エホバに貞節を保たねばなりませんでした。エホバから離れて偽りの神々を崇拝するような霊的姦淫の罪を犯してはならなかったのです。
26 ホセアの妻はだれを表わしましたか。
26 エホバとイスラエルの結婚は,ホセアとゴメルの結婚によって表わされました。ゴメルの名前は「完全」という意味を持っています。ですからゴメルは当然イスラエル国民を表わしました。しかし,ホセアの時代には,イスラエルは,10部族だけのイスラエル王国となっていた,イスラエルの一部であった10部族によって表わされました。150余年を経ていたこの国は,エホバが『この国エホバに遠ざかりてはなはだしき淫行をなせばなり』と言われた通りの「国」になっていました。
27 イスラエルは清い出発をしたにもかかわらず,ホセア書 10章1,2節によると国状はどうなりましたか。
27 イスラエルは預言者モーセの下に清い出発をしたにもかかわらず,その国状は,エホバがご自分の預言者に霊感を与えて,ホセア書 10章1,2節で言わせた通りになっていました。『イスラエルは果をむすびて茂り栄えるぶどうの樹b[イスラエルは生い茂るぶどうの木。彼はおびただしい実を結んだ。(モファット訳)]その果の多くなるがままに祭壇をましその地のゆたかなるがままに偶像[聖なる石(モファット)]を美しくせり かれらは二心をいだけり 今かれら罪せらるべし』。
「エズレル」という名前の預言的な命名
28 エズレルという名前にはどんな意味がありますか。それには預言的な意味があったので,ホセアの息子の名にふさわしいものでしたが,なぜですか。
28 エホバは,霊的姦淫を行なうイスラエルを罰することを意図しておられたので,ゴメルによる最初の子にエズレルという名を付けるようホセアにお命じになりました。その名前は極めて適切でした。ホセアが話した言語のヘブライ語では,「神,まきたもう」という意味があります。しかし『まく』ことではあっても,良い意味ではありません。ここでの『種まき』は,『まき散らす,散乱させる』という意味を持っています。人は種をまく時それをまき散らすからです。エホバが王家である「エヒウの家」にまき散らすような動作で対されるということは,「エヒウの家」が衰えること,滅亡することを意味しました。10部族のイスラエル王国に対する同様の行動は,同王国の滅亡,同王国の崩壊を意味しました。―ルカ 22:31と比較してください。
29 エヒウ王は,バアル崇拝をどうしましたか。子牛崇拝についてはどうでしたか。どんな戒めを破りましたか。
29 イスラエルのアハブ王の首都はサマリアでしたが,王宮はエズレルの町にありました。後のエヒウ王の王朝もエズレルに王宮を持っていました。エヒウはエホバ神の命令に従って10部族のイスラエル王国からバアル崇拝を荒々しく根絶しました。しかし依然として二個の金の子牛の崇拝を続け,エルサレムにおけるエホバの崇拝を無視しました。その刻んだ像を崇拝することによってエヒウの家は十戒を犯しました。彼らはまた,殺すなかれ,という戒めを破りました。―出エジプト 20:2-6,13。
30 エホバは,エヒウの家がエズレルで行なった流血行為に対して,エヒウの家にどのように報いられましたか。
30 こうして,エズレルに王宮を持つ子牛崇拝者のエヒウ王の王朝は流血の記録を作り始めました。十戒の授与者はその記録を見逃すことはできませんでした。そこで彼は言いました。『我エズレルの血をエヒウの家に報い(る)』。(ホセア 1:4)その言葉にたがわず,イスラエルを治めたエヒウ王の王朝は,ヤラベアム二世の子ザカリヤが統治を始めてわずか六か月後に,激しい最期を遂げました。ザカリヤは殺されました。―列王下 15:8-12。
31 イスラエルの家の王の支配はどのように終わりましたか。それはどのようにあたかも「エズレルの谷」のようでしたか。
31 かくしてイスラエルを治めたエヒウ王の王朝は西暦前791年に終わりました。しかし,10部族のイスラエル王国自体は西暦前740年まで,さらに51年間存続しました。次にエホバは,『イスラエルの家の国をほろぼす』ことをされました。(ホセア 1:4)世界強国アッシリアを用いて,『エズレルの谷にてイスラエルの[戦いの]弓を折』られました。イスラエルの首都サマリアが覆されて背教の国は低められました。イスラエルの生き残りがアッシリア帝国の遠隔の諸州に流刑にされ,種のようにまき散らされた時,その国の力は消散しました。その恐ろしい経験は,「エズレル[神,種まきたもう]の谷」という表現の象徴的な意味と一致します。これは,イスラエルの解放者士師ギデオンが,わずか300人のえり抜きの戦士を率いて,略奪を行なっていたミデアン人を,「エズレルの谷」の近くの,メギドにほど近いところに追い散らしたときのようなものではありませんでした。(士師 6:33,34)西暦前740年には,解放者はおらず,生存のための戦いを行なうことはもはやできず,10部族のイスラエル王国は『ほろぼされ』,滅亡しました。
32 なぜわたしたちは,以上の事柄がこの20世紀において持っている意味を理解することに努めるべきですか。
32 わたしたちは,このことが今日もわたしたちに対して持っている重要な意味を理解しているでしょうか。わたしたちはそれを理解しなければなりません。なぜならそれは,この20世紀に,霊的姦淫を行なった不忠実なイスラエルの現代の相対物の中で成就しつつあるからです。その相対物とは,世界中に10億近い教会員を有するキリスト教世界のことです。キリスト教世界の切迫した災いを前にして,わたしたちは,ではエホバ神のあわれみが働いているのを見られるのはどこか,と尋ねるかもしれません。エホバ神がご自分の預言者ホセアに対して取られた態度をさらに深く調べてみれば,それはめいりょうになります。
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神のみことばは人の生活に影響を与えるものみの塔 1976 | 6月15日
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神のみことばは人の生活に影響を与える
[イスラエルの]支部は,前科のあるひとりの若者の経験を寄せています。その若者のおばは会衆と交わっていて,しばしば彼に証言しましたが,若者は応じようとしませんでした。そうしたある日,彼は,訪問中の地帯の監督の講演会に出席することに同意しました。若者はその講演から深い感銘を受け,まもなく家庭聖書研究をするようにとの勧めを受け入れました。神のみことばが若者の生活に著しい影響を与え,彼はかつての生き方を捨てて,野外奉仕に活発になると共にエホバ神に献身しました。彼の個人的な生活上の大きな変化は結婚生活をも救いました。彼と妻は,あらゆる面で共通点がなかったので,離婚寸前のところだったのです。しかし,現在共に良いたよりの伝道者であるふたりは,聖書の原則にそって生活し,クリスチャン会衆の幸福な成員となっています。―「エホバの証人の1976年の年鑑」より
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