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赤面 ― 人間だけのもの目ざめよ! 1974 | 6月22日
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がわるいとき,つまらないまちがいをしたときなどに赤面するでしょう。控えめではにかみやの人も,ほめられたり,自分だけ選び出されてひどく賞賛され,少しめだちすぎると急に感じるときなどに赤面します。
そういう状況のもとにあるとき人はなぜ赤面するのでしょうか。人間を進化の所産と考えている人びとはこれに答えることができません。もし人間が獣から進化したのであれば,どの動物も赤面しない以上,人間はこの特質をどのようにして得たのでしょうか。
人間は神によって,神のかたちに創造され,道徳的観念すなわち良心を与えられた,ということを信じるなら,人間が無意識に赤面することが役だつ実際的な面を少なくともひとつは知ることができます。100年ほど昔に住んでいたある作家が言ったように,赤面は良心を保護する役目をします。良心は人にあざむいてはいけないことを告げます。人は,正しいと知っていること,あるいは考えていることに反した行ないをすると赤面します。そして赤面は人に恥ずかしい思いをさせます。
これは赤面の根本的な原因ですが,このほか別の点でよろしきに欠け,何かのまちがいをした場合にも人は赤面します。人によく思われたいのは自然の情です。そのため,きまりの悪い社交上のまちがいや,不謹慎なことをするときにも人は恥ずかしくなって赤面するでしょう。このことから,全部ではないにせよほとんどの人が,年を取るにつれてあまり赤面しなくなってゆく理由がわかるでしょう。感情に対する神経の反応が弱くなります。そしてそれと同時に,道徳的価値に対する良心の反応も弱くなるかもしれません。
聖書に述べられている赤面
聖書の翻訳がみな,「赤面する」とか「赤面して」といったことばを使っているわけではありませんが,どの翻訳も多少その影響を描写しています。たとえば「エルサレム聖書」はエズラの言ったことを次のように引用しています。「わが神よ,わたしはあなたに向かって顔を上げるのを恥じ,赤面します。わたしたちの罪は積り積ってわたしたちの頭よりも高くなったからです」。(エズラ 9:6)また改訂標準訳のエレミヤ記 6章15節はこうなっています。「彼らは憎むべきことをして恥じたであろうか。彼らは少しも恥じず,赤面することを知らなかった」。
赤面することが人間だけの特徴であることは疑問の余地がありません。それはまた人間が,公正で,賢明で,愛のある造物主により創造されたものであることを示す証拠でもあります。そして,人間自身の幸福と福祉のために,人間が自分の良心に答えるのを助けるよう,造物主が人間に与えてくださった賜物のひとつです。
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野生の動物に対する見方を変える目ざめよ! 1974 | 6月22日
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野生の動物に対する見方を変える
● 「カナダの北方森林地帯のしろうと博物学者のひとりに,ロング・ジョーと呼ばれる元わな猟師がいる」と,「我が動物界の驚異と神秘」という本は書いている。なぜロング・ジョーはわな猟を突然やめたのだろうか。その本はこう述べている。「ある日,ロング・ジョーのわなに雌のクマがかかった。ロング・ジョーがそばに行ってみると,連れの雄グマがそこにいた。毛むくじゃらのこの大きな獣が,わなにかかった雌グマに腕を回して抱き締め,うめくようにして泣いていた。……それ以来,ロング・ジョーはどんな動物も獲ることをやめた」。
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