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正義にあわれみを加味するものみの塔 1965 | 9月15日
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エホバはノアの時代にも正義にあわれみを加味されました。聖書は,大洪水の120年ほど前に,「人の悪が地にはびこり,すべてその心に思いはかることが,いつも悪い事ばかり」であった事をしるしています。神が悪と見られることを人間が行なったため,正義のてんびんの平衡は失われました。エホバ神はその時の世界をさばき,それを滅びに定められました。「エホバいひたまひけるは我が創造りし人を我地のおもてよりぬぐひ去らん」。(創世 6:3-7)しかし,エホバは刑の執行を120年間猶予して,罪人に過分の恵みを示したとき,さばきの宣告を和らげられました。神は人間を寛大に扱われました。これは人間が悔い改めてエホバのあわれみを受け,洪水を生きのびるための機会となりました。この120年間に神のあわれみを受けるように悔い改めなかった者のすべては洪水により地上からぬぐい去られました。これによって正義のてんびんは平衡にもどされました。
今日はどうか
現代にいたるまで,人類全般は洪水で一掃された人々と同じような邪悪な行いを繰り返えしてきました。その悪行は大きくなり,正義の要求する罰の執行されるべきところにまで達しています。人類に対する神の忍耐もやがて終わります。人間の悪行によって正義のてんびんはつり合いを失っているため,エホバは再び全世界的なさばきを執行して,正義の平衡を取られます。正義の要求する罰の執行を神は聖書の中で予告されました。「あなたがたを悩ます者には患難をもって報い,悩まされているあなたがたには,わたしたちと共に,休息をもって報いて下さるのが,神にとって正しいことだからである。それは,主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。その時,主は神を認めない者たちや,わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し」。(テサロニケ後 1:6-8)これが「全能の神の大いなる日の戦闘」であり,この時,神は「万民をさばき悪人を剣にわたします」。―黙示 16:14。エレミヤ 25:31,文語。
ノアの時代に,刑の執行を120年間猶予して正義にあわれみを加味されたと同じように,エホバは今日,「全能の神の大なる日の戦闘」と呼ばれるご自身の戦いの開始を猶予して,正義にあわれみを加味しておられます。(黙示 16:14)不従順な人類にとっては過分のめぐみながら,エホバは何人かの者が「救われる」ために,天にある刑執行の軍勢を1918年以来さし止めてこられました。(マタイ 24:22)エホバは,忍耐の心から,全人類が悔い改め,それを示す機会を設けられたのです。神はいつそのあわれみを受け,神の救いにあずかるために,人間はこの機会をとらえねばなりません。神に守られ,来らんとしている神の戦いを生きのびるにふさわしい事を示さねばなりません。
エホバ神は,不従順な人類を正義の要求通りに処罰する権利を持っておられますが,正義に慈悲を加えて,人類にあわれみを示してこられました。その愛のみむねから,神は人類が正義の要求する冷厳な罰の執行から解かれ,アダムの失った永遠の命を取り戻すためのそなえをされたのです。しかし,この神の過分のめぐみにあずかるために,人は命のための神のそなえを感謝して受け,それにふさわしく行動しなければなりません。
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エホバ賛美に励む老人ものみの塔 1965 | 9月15日
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エホバ賛美に励む老人
◆ カリビア海,リーウォード島の孤立した地域に住む愛すべき75歳の姉妹は,特別開拓者のとりきめた週中の野外奉仕をとても熱心に支持するので,感心したこの開拓者はこう語りました。「この姉妹は私に大きな励ましを与えてくれます。姉妹は週中の奉仕に出るためいつもよい備えをしています。また「ものみの塔」研究に出席するため3キロあまりの道のりを歩いてきます」。兄弟たちや他の興味を持つ人たちは,その姉妹がエホバ賛美のために生命を用いるのを見て力づけられています。
― 1965年度エホバの証人の年鑑から
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