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すべての善意者の一致は約束されているものみの塔 1961 | 2月1日
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へり,ヱルサレムの荒廃れたるところよ声をはなちて共にうたふべし,ヱホバその民をなぐさめヱルサレムを贖ひたまひたればなり,ヱホバそのきよき手をもろもろのくに人の目のまえにあらはしたまへり,地のもろもろの極までわれらの神のすくひを見ん」。―イザヤ 52:8-10。
38 その預言を成就するものとして,世界の人類は,今日実際に何を見ますか。
38 そのわけでこの世界の人々は,エホバの証者が神の御国についての音信と,善意を持つすべての人々に対する御国の祝福についての音信をたずさえて地の極にまで行くのを見るのです。これらの証者たちが全地に存在して活動していること自体は,全能の神がサタン悪魔の支配下にあるこのバビロン的な世界から彼らを救い出された,ということを明白に証するものです。彼らはどこへ行こうとも,その声をあげ,よろこびながら良いたよりを一致してさけびます。霊的に言って,彼らはもはや昔のエルサレムの荒れはてた場所のようではありません。むしろ,彼らは神の御国の実をますます多く産出します。彼らはあらゆるところで,一致してよろこびの声をあげます。彼らはみな和合して,一致を保っているからです。
39 (イ)どんな面で兄弟たちが一致のうちにともに住むのは,良いことであり,楽しいことですか。(ロ)私たちがエホバをあがめて彼の御名をたかめるのは,なぜいっしょであるべきですか。(ハ)一致についての約束のなかで,エホバはどのように御自分を立証しましたか。
39 神を愛する人々,そしてエホバが御自分の献身した民を取りあつかわれる際のこの現代の奇跡を研究する人々にとって,それはなんとすばらしく,心あたたまるものでしょう!「視よはらから相むつみて共におるは,いかに善くいかに楽しきかな」(詩 133:1)それはみて楽しいということだけではありません。一致のうちに共に住むということは,霊的な兄弟たちにとって最も益あることです。そして,兄弟間の事柄は快いものになります。私たちはともに現在の神の仕事をすることができます。たがいに強め合い,建ておこして,必ず成功することができます。詩篇記者ダビデの精神は,私たちの身体にみなぎり渡り,私たちをして次のように叫ばせます,「われとともにヱホバを崇めよ,われらともにその御名をあげたたへん」(詩 34:3)まったく,いっしょにエホバをあがめエホバのすぐれた御名をほめたたえましょう。エホバは敵の把持を破り,私たちを互に集めて,キリストの支配下の安全なおりの群れのように一致のうちに私たちを彼の証者とならせました。エホバは,この分裂した世界において,すべての善意者の一致をも約束されました。エホバはそのことを祝福にみちた現実となし,しかもそれを栄光に輝く新しい世でも保たれることにより,御自身を立証されることでしょう。
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モザンビクにおいてものみの塔 1961 | 2月1日
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モザンビクにおいて
数年まえ,多くの兄弟たちが逮捕され追放されたことのある奥地のある地方で,後に残った兄弟たちは驚くべき経験をしました。あまりにも多くの人々が聖書に耳を傾け,聖書の勉強を始めたため,習慣になっている密売用ウイスキーの密造に故障をきたすようになりました。自分の飲み料が底をついてきた時,しゅう長はこのことに対して腹を立ててしまいました。兄弟たちに聖書の勉強をやめさせるため,彼は警察に行きました。そしてそこにいる間にその地方のカトリックの司祭たちに会ったので,彼らとこのことで結託し,あるヨーロッパ人の地方長官に訴えて出ました。そして,エホバの証者をサン・トメ ― 囚人を監禁する島 ― に追放するよう懇請しました。そこで地方長官は,兄弟たちに何をしていたのかと尋ねました。兄弟たちはマタイ伝 24章14節を調べて見て下さいと長官に答えました。すると長官は,1冊の聖書を司祭に渡して,その聖句のところを開いて読むように言いました。司祭はその聖句を見つけることができなかったので,長官は兄弟に司祭を助けるよう頼み,自分もそれを読んでから彼はしゅう長と司祭に対して非常に腹を立てその地方全体を伝道してもよいという許可証を兄弟たちに与えました。ですからいまでは,開拓者でさえ自由に宣教をつづけることができます。
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