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サタンの死の通告を伝えるものみの塔 1956 | 11月1日
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15 この言葉に対する反対は,どんな影響をヱホバの証者に及ぼしましたか。この言葉がハルマゲドンまで伝道され続けるというどんな保証がありますか。
15 それで,難しい状態下でもこの言葉を宣明することは,良い目的を果していることになります。つまり,言葉を宣伝える者を試験にかけることになります。彼らはヱホバ神に従つて神の命じ給うた言葉を宣伝えるでしようか。或はその言葉に混ぜものを加えて,妥協の態度をとるでしようか。或はまつたく止めてしまい逃げかくれてしまうでしようか。彼らは,ヱホバがいま地上で用いている制度につき従うでしようか。或は神権制度から離れて自分自身の考えでつくり上げる制度を設立するでしようか。時々,ヱホバのいましめに従つて歩むのを止める人は,ロトの妻のごとく,落伍して離れて行きます。しかし,制度全体はその献身した目的に失敗することがありません。なぜならヱホバの目的は決して失敗しないからです。ヱホバの忠実な証者は,敵の火をうけてもかたく立ち,試験下にあつて自分の忠実を立証するでしよう。そのわけで,悪魔とその残酷な支配下にいるすべての者たちに対する警告の言葉が,『邑』であるこの古い組織制度のなくなる時まで存続することは疑いありません。
16 サタンの死の通告を伝えることは,善意者にどんな影響を及ぼしてきましたか。また将来に及ぼしますか。
16 多くの善意者はサタンに欺かれており,自分の意志に反する捕われの状態に閉じこめられています。それで,この警告の言葉を宣伝えることは,別の良い目的を果しているのです。声高らかに,しかも宣伝え続けることにより,正しい心を持つこれらの人々は目を覚まして,その盲目の目を開き,そして悪魔の捕われから出て栄光に輝く真理の自由に入ります。かくして,間近い中に悪魔の制度に降りかかるヱホバの裁きの執行を逃れることができます。この宣明が始まつてから僅かな年月の中に,50万人以上の正義を愛する人々は,すでに安全を求めて逃げているのです。これこそ,この警告の言葉を宣伝えることが無益でなかつたと明白に裏書します。そして,この宣明には非常な繁栄と成功がともなつたのです。シンゲンにこう書かれています,『忠信なる使者は,成功をもたらす。』また『忠信なる使者は,これを遣す者におけること収獲の時に冷かなる水あるがごとし。よくその主の心を喜ばしむ。』(シンゲン 13:17; 25:13,ア訳)主ヱホバは,御自分の忠信な証者とその仕事によろこびの是認を示され,長年にわたつて彼らを元気づけ,また支えてこられました。善意を持つ他の多くの人々もこの宣明がいますこし続くあいだ,この宣明を聞き,安全を図つて逃げなければなりません。
17 時代の切迫していることを強調することはなぜ必要ですか。
17 時代の切迫していることをいくら強調しても強調し過ぎるということはありません。時は短いのです。まつたく,この宣明が始まつた時からはずつと短いのです。そして,一時も浪費すべきでありません。ハルマゲドンは急速に近づいています。サタンが天から地に追落されてから約40年も経つています。あらゆる時代における最高潮は急速に近づいているのです。ヱホバの言葉と御名はいまや全く立証されるでしよう。最初にヱホバの宇宙至上権に挑戦し,『最高者のごとき』者と誇つた者は,底のない坑に投げ入れられようとしています。(黙示 20:1-3)次のことを考えてごらんなさい ― この世の無知,迷信,恐怖に対して責任を持つもの,罪,病気,悲しみ,そして死という人類の堕落した状態に責任を持つもの,地上のすべての悪に責任を持つもの,そして戦争,飢饉,青少年犯罪,不道徳,犯罪,災難,悲哀に責任を持つもの,すなわち人類の最大の敵である悪魔サタンは,間もなくして1000年間底のない坑に入れられるのです。
18 今日ヱホバの証者の一人であることを特権と考えますか。なぜそうですか。
18 それで,あなた方ヱホバの証者には,なんとすばらしい特権があるのでしよう! アベルの時から現在にいたるまで連綿とつづく証者たちの中にあつて,あなた方はいまサタンの死の通告を伝えるという特権を持つているのです! 稀にしかないこの素晴らしい特権をなおざりにしてはなりません! この重大かつ緊急な通告を伝えることをおくらせてはなりません。また延期してはなりません。ヱホバの御意に従い,ヱホバの目的に仕えて忠実に神のこの言葉を宣伝える者たちに,ヱホバの祝福と繁栄はかならず続きます。なぜなら,「ヱホバの定めしことはかならず立たん。」― イザヤ 14:24。
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新しい人寄せ術ものみの塔 1956 | 11月1日
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新しい人寄せ術
ずつと以前ということではありませんが,カンサス州ウイテタにあるブロードウエイ・クリスチャン教会は,雰囲気をかもし出すことによつて礼拝後の茶菓会の出席者数を増すことにしました。『昔風の』日曜礼拝が行われ,教区民は昔風の衣服を着て教会に来ました。また,油灯,ランタンの照明,ポンプ・オルガンの音楽などが用いられ,教会の座席では男と女が別々に坐りました。この世界の霊的な知識は全く払底しており,キリスト教国の教会には,雰囲気よりも聖書の真理の方がはるかに必要です。なぜなら,ハルマゲドンの時に,永久に『この世の有様は過ぎ去る』からです。―コリント前 7:31,新口。
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