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『王としてきたる者に祝福あれ』ものみの塔 1971 | 8月1日
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ん。キリストは,『世の一部にならない』ようにといわれました。もしわたしたちがこの世の政府の事がらにかんけいするならば,キリストに従っていることになるでしょうか。イエスとその使徒たちはみなそうした事がらからはなれていました。―ヨハネ 15:19。
使徒たちはそのかわりになにをしましたか。神の王国について他の人びとに話しました。そうすることはその人たちの生活の中でたいせつなしごとでした。わたしたちもそうすることができますか。できます。神の王国が来ますようにと祈るとき,その意味を理解しているなら,わたしたちはそうするでしょう。
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エホバにわたしたちの最善のものをささげるものみの塔 1971 | 8月1日
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エホバにわたしたちの最善のものをささげる
宇宙の万物の所有者を富ますことはだれにもできません。どんな物を贈っても,それはすでに彼のものであり,当然彼に帰されるべきものです。この事実を認めようと認めまいと,人間はたしかに自分の所有物について神に申し開きをする責任をもつ家令にすぎません。
ダビデは幾世紀も昔エルサレムで王として支配した人ですが,この事実を認め次のように告白しています。「エホバよ権勢と能力と栄光と光輝と威光とは汝に属す,すべて天にある者地にある者はみな汝に属す……富と貴とは共に汝より出づ」。
たしかにダビデは,エルサレムの崇拝の場所に対する自分自身の,また自分の民のすべての寄付にかんして,正しい見方をもっていました。というのは,つづけてこう述べているからです。「万の物は汝より出づ 我らはただ汝の手より受けて汝にささげたり」― 歴代上 29:11-14。
では神の民はそのことに失望して,清い崇拝を支持するためのささげもの,エホバに最善のものをささげることをやめるべきですか。いいえ。同じ詩篇作者は神の霊感のもとに,創造者を喜ばせたいと思う人すべてに対し,熱意のこもった勧めをしるしています。「その聖名にかなふ栄光をもてエホバに献物をたづさへてその大庭にきたれ」― 詩 96:8。
わたしたちはこのことばから,昔のイスラエル人たちが,特に年に3回の特別の時期に,それぞれのささげもの ― 上質の麦粉,ぶどう酒,油,きずのない動物をエホバの神殿の中庭に携えてくる光景を頭に描くでしょう。―申命 16:16。
アロンの家系の祭司たちはエホバの代表者として勤めを行ない,民の豊かなささげものを受け取りました。真の崇拝の維持と発展のためのこうしたささげものの処理については,司祭たちはエホバから指示を受けていました。敬虔な崇拝者たちはその聖なる場所にささげものを置いたことに満足し,神に最善のものをささげたという喜びをいだいて家路につきました。
現代の崇拝者とそのささげもの
今日ではもちろん,そのような中庭のある文字どおりの神殿はありません。しかしそれらのものはみな,「天に在るもの」すなわち霊的なものに「象りたるもの」としての役割を果たすことになっていましたから,わたしたちは崇拝者の大群がつどう現代の『中庭』が何かを尋ね求めます。(ヘブル 9:23)昔の崇拝者たちが油そそがれたアロンの家系の祭司たちと交わっ
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