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聖書の真理は二人の生活を変えたものみの塔 1980 | 3月15日
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ダニエルはこう説明します。「私がこの奉仕にとどまる上で最大の励ましとなっているのは進歩的な家庭聖書研究です。真理を本当に求めている人の所に導いてくださるよう,エホバに常々お願いしています。それは研究生に対してだけでなく,私にとっても励みとなるからです。現在,進歩的で,集会に出席している“すばらしい”家族がいます。そこの家族の主人が自分の宗教上の変化について語った次の言葉はとても的を突いているように思います。『伝統に従ってカトリックになり,感情に動かされてバプテストになり,正確な知識によってエホバの証人になりました』」。
聖書の真理に感謝する
会話のテンポが遅くなり,私たちは百日草やバラ,ブドウの沢山ある中庭に進みます。クトゥチ川の向こうでは,干してある色鮮やかな布の間で一面に生える草を牛がはんでおり,灰色のユーカリがそよ風に鳴っています。抜けるように青い空です。デリアは思いにふけっていました。
デリアが口を開き,こう言います。「私は満たされた生活を送っていると人々から言われます。ご存じのように,このすべては聖書の真理のおかげです。神の言葉がなければ子供たちはどうなっていたでしょう。七人の子供全員がバプテスマを受け,しっかり立っています。私にとって,真理は全く新しい生活,新しい幸福を意味しました」。デリアは急に顔をほころばせ,「これからもエホバに仕え続け,その導きを信頼していきたいと思っています」と言います。
ダニエルもそれに同意してこう語ります。「真理は私にとって命を意味しています。真理がなかったら,アルコール中毒で死んでいたことでしょう」。会うたびに若くなってゆくように見える,とダニエルに話したところ,ダニエルは笑いながらこう言います。「ここラタクンガの人々も同じことを言います。事実,人々は,私が宣べ伝える業を行なっていることと関係があるに違いないと語っています。そう言う人たちに見せたい聖書の言葉があります。それはここ,詩篇 92篇14,15節(新)です。『彼らは白髪の時になってもなお栄え,肥えてはつらつなままでいるであろう。エホバが方正な方であることを告げるために。わたしの岩,この方に不義はない』」。
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覚えていますかものみの塔 1980 | 3月15日
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覚えていますか
あなたは最近号の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。もしそうでしたら,きっと次の点を覚えておられるでしょう。
● 使徒 20章18-21節の使徒パウロの言葉をどのように理解すべきでしょうか。
アジアに入った「最初の日」から,パウロは『徹底的な証しをしました』。パウロはこれを「公にも家から家にも」行ない,霊的な思いを持つ人々を探し,次いでそれらの人々を定期的に教え,後には必要に応じて牧羊の訪問を行ないました。このすべては,エホバの証人が今日行なっている業の優れた型となっています。―79年10月15日号,11-13ページ。
● 『山々の頂が実りこぼれる』という詩篇 72篇16節(新)の言葉は何を意味しているのでしょうか。
神の祝福を受けて,地上は豊かに産物をいだすでしょう。山頂は普通,穀物がよく育つ場所ではありません。ですからこれは,最初にソロモン王の統治下で,そして最終的にイエス・キリストの統治下で享受されることになっていた豊かさを美しく描いたものです。―79年11月15日号,8ページ。
● エレミヤはなぜエホバのことを「諸国民の王」と呼びましたか。―エレミヤ 10:7,新。
エホバは傑出した王,また至上者であり,他のすべての王を支配しておられます。至高者は,シホンとオグなどの王たちに対する勝利をイスラエルの人々に与えられました。このように諸国民の支配者たちに敵する行動を取ることにより,ご自分のまさった王権を示されました。―79年11月15日号,20ページ。
● エレミヤはどうして,「エホバよ,あなたはわたしをだましました」と言ったのですか。―エレミヤ 20:7,新。
エレミヤは益となる仕方でだまされました。神の言葉はエレミヤに説得力をもって働きかけました。エホバはエレミヤの弱さよりも強いことを示され,預言者エレミヤが忍耐して神の奉仕を最後まで全うできるようにしてくださいました。―79年12月1日号,31ページ。
● エレミヤ 24章1,2節(新)に記されている『良い』いちじくと『悪い』いちじくはどんな木から取られますか。また,それらは何を表わしていますか。
象徴的ないちじくはイスラエル国民という木から取られました。『良いいちじく』は同国民の悔い改めた残りの者を表わし,一方『悪いいちじく』は不忠実な者たちを示していました。現代の成就は真のクリスチャンと,それとは対照的に悔い改めようとしないキリスト教世界とに見られます。―79年12月15日号,18,19ページ。
● キリストの千年統治に関する真理がゆがめられたのはなぜですか。
西暦一世紀には,使徒たちが,キリスト教の教えを純粋に保つ抑制力を行使していました。しかし,使徒たちの死後間もなく,真の信仰からの背教が生じました。これはやがて,相反する宗派間の見解を数多く生むようになりました。―80年1月15日号,5,6ページ。
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