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正しい者の確信ものみの塔 1958 | 2月15日
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は憎みあい,そのすべては全く国家主義的で自分の国が他のどの国よりもすぐれていると考えているのです。自分の国だけが存続する権利を持つとさえ考えている国があり,従つて彼らは他の国家を滅ぼそうと狙つています。なぜ,人間は皮膚の色,言葉,体の大きさの違いを越えて隣人と一つになることが出来ないのですか。私たちすべての創造主は御一人であり,私たちはすべて兄弟であつてアダムとエバの子孫なのです。そしてすべての人はやがて唯一の神を崇拝するのです。私たちは唯一の神を見出さねばなりません! 神の言葉,聖書をひもとき,神について読むなら見出すことができます。ヱホバの証者は人々にヱホバを知らせようと真心をもつて努力しています。そして,知らせることができるなら,神を知るようになつた人々が間近い新しい世において幸福な新しい生命を得ることになるのです。
27 ヱホバの証者にとつて,今はどんな時ですか。
27 忠実を守る男女が『平坦なるところ』に立つ時は今です。それは開けた場所であつて,つまづく恐れはもはや無く,真の崇拝をつづけることの出来るところです。ゆえに神の民のすべてと共に,全く幸福な彼らはダビデと同じように言えるのです。『わが足は平坦なるところに立つ,われはもろもろの会のなかにてヱホバを讃めまつらん』― 詩 26:12。
28 この心の態度を持つヱホバの証者は,世界の有様についてどんな見方をとりますか。彼らはどのように確信を示しますか。
28 今日,ヱホバの証者は164の違つた国,土地,海洋の島々に散らばり,良いたよりの伝道者は70万人以上を数えています。彼らは平らなところに立つており,この悪しき組織制度が最終的に滅ぼされて神の正義の新しい世が全く設立されるのを待ち望んでいます。その日がくるまで,彼らは集まつた群の中にあつて平らなところに立ち,ヱホバを讃美します。悪しき者の手によつてどんな災や迫害が来ようとも,彼らはこう言いつづけるでしよう,『されどわれはわが完全によりてあゆまん』(詩 26:11)彼らは地のはてにまで行き家から家に歩いて伝道するばかりでなく,人々の家に招じ入れられた時には,そこで人々に真理を教えます。彼らの願いは全国民の中から正義を愛する羊のすべてを集めて,その人々もまた集まつた群の中でヱホバを讃美するのに加わることだからです。これらの人々も自分が真直ぐであるという確信を得なければなりません。1958年のあいだ,あなたの忠実のうちに歩んで,あなたはこれらヱホバの讃美者の一人となりますか。
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確信をもつて教えるための資格を備えるものみの塔 1958 | 2月15日
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確信をもつて教えるための資格を備える
1 機会が許すに従つて,ヱホバの証者は喜びを与えるどんな事をしますか。
良い音信から本当の慰めと心の喜びを得たとき,大抵の人はその知つている事を他の人に話したいと望みます。神の言葉に頼つて,それを注意深く研究したヱホバの証者は,神の言葉が良いたよりに満たされていることを見出しています。聖書の66の本,創世記から黙示録までの神の言葉を研究すればするほど,この良いたよりは益々明らかとなつて彼らの心を喜ばせます。クリスチャンは神の御国の良いことについて他の人に話す機会を得るとき,本当の喜びを得ます。人に理解させるために争う必要はないと,使徒パウロは述べています。むしろ,注意深く,そして巧みに表現しなければなりません。教える者は聞く人に新しい事柄を教えようとしているのです。このわけで,パウロはテモテに書き送つたとき,こう述べました,『主の僕たる者は争つてはならないだれに対しても親切であつて,よく教え,よく忍び』― テモテ後 2:24,新口。
2 伝道について,昔はどんな意見がよく言われましたか。この見方は今どのように変りましたか。
2 悪魔の組織の終りの日にあつて,個人的に教えることはヱホバの証者の大きな業です。1918年いらい40年間にわたつて,ヱホバの証者は神の御国の良いたよりを伝道してきましたが,今日では益々大きな責任が課せられているのです。それは神の御国について人々に教えるということです。過ぎ去つた時代には,次のような見解がありました。つまり,御国について二,三の言葉を述べ,ハルマゲドンの戦いのことを人々に語りさえすれば万事は足りる,それで証言をしたという意見です。しかし,今日の人々は,神の言葉を全く知らず,暗やみの中
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