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  • み子は「その者たちを最後まで愛された」
    ものみの塔 1980 | 3月1日
    • との結論を出したのは強い感情に動かされてのことだったと認められたり,そのような召しが何らかの仕方で自分を際立たせ,他の人よりどこか優れているように思わせ,自分が特別な扱いや敬意を受けるにふさわしくなると思ったりしているなら,自分の立場を再検討してみるだけの十分の理由があります。誠実さと謙遜さをもって,神に知恵と導きを,またご意志を行なうための助けを求めることにやぶさかであってはなりません。神は決してあなたをとがめるようなことはなされないでしょう。「神は[愛する]子に対するようにしてあなたがたを扱っておられるのです」― コリント第一 11:28。ヘブライ 12:4-11。ヤコブ 1:5-8。

      見守る者としてであれ,あずかる者としてであれ,「主の晩さん」に出席する真の羊のような人々は皆,み父,およびだれであれご自分に信仰を働かせる人に対する忠節な愛を実証するためにイエスの行なわれた事柄すべての「記念として」,その場に出席できることを喜んでいます。イエスが「その者たちを最後まで愛された」のと同じように,わたしたちも忍耐と忠節の同じ霊を最後まで示したいものです。ヨハネは,イエスの弟子たちが「世にある」ことを述べています。わたしたちを励ますため,イエスはこの点を認め,さらにこう語られました。「世にあってあなたがたには患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」。(ヨハネ 13:1; 16:33)ですから,パウロの勧めるように,毎日,「誠実さと真実さの無酵母パンを用いて祭りを行な(って)」ゆきたいものです。―コリント第一 5:8。

  • 「わたしの助けはどこから来るのだろうか」
    ものみの塔 1980 | 3月1日
    • 詩篇

      「わたしの助けはどこから来るのだろうか」

      深刻な苦難に遭っているとき,どこに助けを仰ぎ求めますか。それは詩篇作者が仰ぎ求めたのと同じ源ですか。古代のこの歌人はこう言明しました。「わたしは山々に向かって目を上げる。わたしの助けはどこから来るのだろうか。わたしの助けはエホバからもたらされる。天と地の造り主から」― 詩 121:1,2,新。

      この言葉が記された当時,至高の神の聖所はエルサレムにありました。ですから,表象的な意味で,その都市は神の住まわれる所でした。ですから,詩篇作者は,エルサレムの山々と思われるものに向かって目を上げ,偉大な創造者エホバに助けを呼び求めたのです。―列王上 8:30,44,45。ダニエル 6:10。

      詩篇作者は,必要とされる助けを備えてくださる神の能力に不動の信仰を言い表わし,続いてこう述べています。「彼があなたの足のよろめくのを許すことなどあり得ない。あなたを守っておられる方がまどろむことなどあり得ない。見よ! 彼はまどろむことも眠りにつくこともない。イスラエルを守っておられるその方は」。(詩 121:3,4,新)ご自分を仰ぎ求める者がよろめき,回復不能なまでに倒れてしまうのを全能者がお許しになることなど決してあり得ません。神は,そのような者たちがご自分の是認したしもべとしてみ前にいつまでも立っていられるようにされます。まどろんだり眠ったりしていて,その者たちが倒れるにまかされる危険はありません。至高者は常にご自分の能力を最高度に働かせて助けをお与えになり,起きている事柄すべてを十分に把握しておられます。神は決してまどろむことも眠ることもありません。ですから,神に守られている人は安全です。

      詩篇作者はさらにこう述べています。「エホバはあなたを守っておられる。エホバはあなたの右の手を覆う陰。昼も太陽があなたを打つことがなく,また,月が夜に打つことも。エホバがすべての禍いからあなたを守ってくださる。彼はあなたの魂を守ってくださる。エホバがあなたの出入りを守ってくださる。今から,定めのない時に至るまで」― 詩 121:5-8,新。

      エホバが人々を守るとき,エホバは焼き尽くすような太陽の光線をさえぎって陰を作る盾のよう

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