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収穫は喜びの時ものみの塔 1966 | 9月15日
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収穫の初穂を宮において神にささげることを命じていました。同じくこの収穫の初穂も特別に神に属するものです。(ペテロ第一 2:9)しかし,ほかにも収穫される人々がいました。さらに多くの人々が,御国の建てられたことを告げる福音を聞くようになり,しだいに少なくなる,油そそがれた残れる者に加わって伝道をはじめました。しかしこれらの人々は,主の夕食の表象物にあずかるイエス・キリストの霊的な兄弟すなわち霊によって生み出され,天的な希望を与えられた者ではありません。彼らは地上の楽園で生きる希望を持つ者です。地上の楽園の希望はその当時からしだいに注目されるようになっていました。―ローマ 8:16,21-23。
20 (イ)1931年には,伝道のわざに関してどんな新しい見解が得られましたか。(ロ)1933年と1935年には何が理解されましたか。
20 1931年,油そそがれた残れる者は,聖書に基づいたエホバの証人という名を自分たちの名前にしました。「しるしをつける」という,関連したわざが注目されたのも,この年です。エゼキエル書 9章の預言が解明され,キリスト教国のにせクリスチャンの間で行なわれている憎むべきことを見て嘆く人が大ぜいいること,またキリストの霊的な兄弟は,エホバの崇拝者また王イエス・キリストの民であることを示すしるしをこれらの人々の額につける仕事をすべきことが明らかにされました。言いかえれば,前途に大きな教育のわざのあることが示されたのです。1935年には,黙示録 7章9節から17節の「大ぜいの群衆」が地上の生命の希望を持つ人々であり,これらの敬虔な人々が大いなるバビロンから救われることも,明らかにされました。
21 この新たな理解によって,どんな機会が開かれましたか。それはどんな結果になりましたか,
21 このことは御国の伝道者に大きな喜びを与え,全世界にいる「大ぜいの群衆」のためにさいわいを得る道を開く結果となりました。収穫の終わり近くにさらに何十万の人が集められる結果になったのです。ヨハネによる福音書 10章16節において,羊飼いイエス・キリストは御国相続者の「小さい群」である「この囲い」のほかにこれらの「他の羊」がいることを預言されました。この人々は地上で幸福な永遠の生命を得る望みを持っています。今日,御国の福音の伝道者の大多数はこれらの「他の羊」です。1965年4月16日,全世界で行なわれた主の夕食の記念式においてパンとぶどう酒の表象物にあずかった残れる者は,1万1550人にすぎません。いっぽう御国の福音を定期的に伝道する人々は103万4268人に増加していました。―マタイ 25:31-40。
22 (イ)収穫が終わる時,集められた者の前途には何がありますか。(ロ)いま集められている「他の羊」は,今の時期における神の目的にどのようにかなっていますか。
22 収穫のわざが最高潮に近づいていることは,まちがいありません。御国の子たち,すなわち油そそがれた御国相続者と「他の羊」の大ぜいの群衆は,まもなくひとり残らず地から収穫されます。羊飼いである王は,大いなるバビロンを離れ去ったこれら大ぜいの群衆を導いて,この事物の制度の滅びの時に生き残らせ,「新しい天と新しい地」の新秩序に導き入れるでしょう。(ペテロ第二 3:13)これらの人々は偉大な農夫また耕作者であられるエホバ神に愛されています。彼らは,「被造物の初穂」である,油そそがれた,キリストの霊的な兄弟とともに神に用いられ,神の宮で奉仕しています。(ヤコブ 1:18)これらの「大ぜいの群衆」は,非イスラエル人である昔のネテニ人,しもべ,しもめ,歌うたう者,「ソロモンのしもべたちの子孫」によって予影されていました。クロスが解放の布告を出してのち,紀元前537年にユダヤ人の残れる者はバビロンを離れて約束の地にもどりました。その時ユダヤ人の残れる者と行動をともにしたのが,ネテニ人その他の人々です。―エズラ 1:1-6; 2:43-58,64-70。
23 収穫によってだれが幸福を得ますか。なぜです
23 エホバ神は世界という大きな畑で,大規模な収穫のわざを行なわれています。即位した王イエス・キリストと,刈る者すなわち天使は,まちがいのない正確さで麦をとりいれます。神の畑であるこの地において御国の福音を伝道することにより収穫のわざに働く人は,大きな祝福とさいわいを得ます。新しい秩序における完全な生命と永遠の幸福を前途に望みながらこのわざを助け,また今集められつつある人々は,ほんとうに幸福です。しかしなんと言っても,畑の所有主である収穫の主は,ご自身の目的を成就し,また人々に永遠の生命を授けることに最大の幸福を感じます。永遠の生命を受けるのは福音を聞き,永遠の祝福の倉にとり入れられるのにふさわしいことを証明した人々です。
24 取り入れののちには,必ず何が行なわれますか。黙示録からさらにどんな予告的な事柄を知ることができますか。
24 しかしどんな場合でも,取り入れがすんだなら,踏んで脱穀しなければなりません。そのことは黙示録に描かれています。それでわたしたちは,とり入れが終わった後に何が起こるかを前もって見ることができるのです。そのことはおって本誌に取りあげられます。
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ギレアデの乳香ものみの塔 1966 | 9月15日
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ギレアデの乳香
「ギレアデに乳香があるではないか」。これは2500年ほど前のエレミヤのことばです。このギレアデの乳香とは何ですか。また,それは今日のクリスチャンにどんな意味がありますか。―エレミヤ 8:22。
英語のバルサム(乳香)はギリシャ語のバルサモンから来ており,バルサモンは二つのヘブライ語ベイアル(君主)とシェメン(油)に由来します。それゆえ,バルサム(乳香)とは油の君主,つまり最良の油という意味です。これは食用ではなく,香油,また薬用油として使われました。「古代人はこれをきわめて大切にした。今日でも,東洋人はこれを珍重している」。―大英百科辞典第11版
珍重されたギレアデの乳香がどの木から取られたかは,今日あまりはっきりしていません。しかし,たけの低い常緑きょう木ないしはかん木類の中で,最も有力視されているはアミリス・オポバルサマム,あるいはギレアデンシスと名づけられる植物です。乳香はこうした植物の樹幹に切り込みをつけ,出てくる樹液を集めたものです。一権威者によると,季節によっては1本の木から1日最大60滴の乳香が取れます。昔のギレアデでは乳香の木がよく育ち,ギレアデの乳香はエジプトやツロにも輸出されました。また,ヨセハスによると,後年にはエリコも乳香樹で知られるようになりました。―創世 37:25。エゼキエル 27:17。
一般の歴史だけでなく,聖書からも言えることですが,ギレアデの乳香には三つの特徴がありました。それは高価なことと,かおりの良さと,その薬用効果です。
乳香樹は価の高い木とされたため,侵入者は再三にわたりこの木に目をつけました。ローマの武将ポンペイウスはパレスチナ征服の戦利品として乳香の木を見せたと言われます。乳香が高価な物であったことは,族長ヤコブがエジプトの宰相に贈った「国の名産」
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