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神権的な軍隊に伴う祭司ものみの塔 1955 | 2月15日
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ました。そのとき,ヱホバは,危機に臨むに際し,慰めと指示を与える御自身の代弁者を選ばれました。聖なる人,レビ人の歌い手ヤハジエルが選ばれ,ヱホバは聖霊を注ぎ,彼を感動してこう言わせました。『ヱホバかく汝らに言いたもう。この大衆のために懼るるなかれ,おののくなかれ。汝らの戦にあらず,ヱホバの戦なればなり,なんぢら明日彼らのところに攻めくだれ。……この戦には汝ら戦うにおよばず。ユダおよびエルサレムよ,なんぢらただ進みいでて立ち,汝らとともに在すヱホバの救を見よ。おそるるなかれ,おののくなかれ。明日彼らの所に攻めいでよ。ヱホバ汝らと共に在せばなりと。』
8 彼らがこの状況に会う神聖さはどのように示されましたか? 神聖さに強調が置かれたことは,なぜ間違つてはいませんでしたか?
8 翌朝,彼らはこの言葉に従つて,都の防壁から出て,殺倒する敵と会しようと進軍しました。しかし,どのように? 祭司たちの手に持つ2本の銀のラッパはたずさえて行かず音を吹きならすことはなかつたのです。吶喊をあげてモアブ人,アンモン人,そしてセイル山の民に突撃することはなかつたのです。彼らは,この戦闘に戦う必要がなかつたのです。それは聖なる戦でした。それは彼らの戦ではなく,神の戦でした。彼らが出かけて行つたときに,軍勢の総指揮官である王ヨシヤパテは申命記 20章5-9節に従い,立ちて,進軍する者たちをいましめ,こう言いました。『なんぢらの神ヱホバを信ぜよ。さらば,汝らかたくあらん。その予言者(ヤハジエルのような)を信ぜよ。然らば汝ら利あらん。』と同時に,彼らのヱホバへの信仰と確信を強めるために,ヨシヤパテ王はヤハジエルとその仲間のレビ人の歌い手に聖き衣をつけさせ,行進する軍勢の最先頭に置きました。ラッパの音にひきつづく吶喊をあげる代りに,これら聖なるレビ人たちは『ヱホバに感謝せよ。その恩恵は世々かぎりなし。』と歌を歌いながら進軍して行きました。ヨシヤパテ王と軍勢は,次位の地位をしめて従つて行きました。戦争の神聖さに,この強調を置いたことは,間違つてはいなかつたのです。聖書には,こう書かれています『その歌を歌い,讃美をなし始めるに当りて,ヱホバ伏兵を設け,かのユダに攻め来れるアンモン,モアブ,セイル山の子孫をなやまし給いければ彼ら打ち敗られたり。すなわち,アンモンとモアブの子孫起ちてセイル山の民にむかい,ことごとくこれを殺して滅ぼししが,セイルの民を殺しつくすに及びて彼らもまた力をいだしてたがいに滅しあえり。』荒野のものみの塔に来たとき神権的な行列は,行われたところの殺戮を見ました。
9 彼らはどのようにヱホバの勝利を祝いましたか? ヱホバの勝利によつて,昔の世は何を知りましたか?
9 彼らのすることは,ただ死体から戦利品を取ることだけでした。このことを3日間して後に,彼らはベラカの谷に集まり,ヱホバを崇め,それから聖なる音楽を奏して彼らはエルサレムとその宮によろこんで戻つて来ました。『そはヱホバ彼らをしてその敵の故によりてよろこびを得させたまいたればなり。』不敬虔な侵略者に対するヱホバの聖戦の結果は何でしたか? 聖書の記録は,こう答えています。『諸々の国の民ヱホバがイスラエルの敵を攻め撃ちたまいしことを聞きて神を畏れたり。』(歴代志略下 20:1-29)昔の世は,ヱホバが平和主義者ではなくして戦をする方であると知りました。しかも戦つていつも勝たれる方であり,私たちは彼を恐れるべきであります。神に反対して戦う者は災いです。彼らは敗け戦をしています! しかし,ヱホバの戦争を戦うものは,そうではありません。これらの者たちとは,クリスチャンの神権的な戦に全く自らを捧げる者たちです。彼らはただこの戦のためだけに潔めをうけています。なぜならば,その戦は聖いものであり,宇宙の聖者によつて権威を与えられ,また彼によつて支持され,勝利を必らず得るからです。
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泰国からの報告ものみの塔 1955 | 2月15日
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泰国からの報告
ある一青年はバンコックの宣教者と共に研究を始め,燃えるような熱心さを示しましたが,友達の殆んどは彼を見捨てて,仏教に対する反逆者だと非難したにもかかわらず,そうし続けました。もう一人の友達は ― この人はカトリックでしたが ― この青年が御国会館に出席するのを思い止めようと工作していました。『それなら,何故私をあなたの教会に連れていつてくれないのですか?』と仏教徒が尋ねました。「仏教徒を改宗する」というこの機会に,カトリックのこの信者は応えましたか? いいえ。その代りにやがて,聞いた新しい知識に感動されて,伝道を始め,遂には自分の友達をも御国会館へ来るように納得させました。今でも二人とも規則正しい出席者となつて,円熟へと邁進しています。その一人は彼の始めての研究生の話をしました。以前カトリック信者であつたものは,聖書の教えについて,以前の仏教徒よりも,もつともつと学ばなければならないと感じています! ―1955年のエホバの証者の年鑑より。
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