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エホバへの奉仕の挑戦を全面的に受け入れるものみの塔 1972 | 5月15日
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死て子を遺さゞる時はその死たる者の妻いでて他人に嫁ぐべからず其夫の兄弟これの所に入りこれを娶りて妻となし斯してその夫の兄弟たる道をこれに尽し 而してその婦の生ところの初子をもてその死たる兄弟の後を嗣しめその名をイスラエルの中に絶ざらしむべし」。(申命 25:5,6)買い戻すことにかんする定めとともにこの律法はナオミにとって唯一の希望でした。もし兄弟あるいは近い親族を見いだせれば,ナオミは律法のこの規定にすがって解決の道を求められるかもしれません。しかしたとえそのような親族を見いだしたところで,ナオミ自身は子どもを生み出すことはできません。したがって,ナオミに残された唯一の機会は,この取り決めの中でナオミに代わってエリメレクにすえをもたらしうる義理の娘ルツにかかっていました。ルツはこの機会をどうみなしましたか。自分に何かを与えうる若い男子を見つけたいという希望を自らいだいていたとすれば,ルツはそれを喜んで捨てましたか。つまり,この挑戦の中に,エホバの目的を追い求め,自分の生き方をそれにかなったものにする機会を認めましたか。
22 預言的な劇の中でほかにだれがこの挑戦の影響を受けましたか。その結果は今日のわたしたちにどのように影響を及ぼすにちがいありませんか。
22 また,ボアズおよび「某」と呼ばれた人物についてはどうですか。彼らは,ナオミの死んだ夫エリメレクの名を継ぐべき相続者を彼女に与えるこの挑戦にどう応じましたか。それをエホバの奉仕にいっそう十分にあずかる機会とみなしましたか。この挑戦とその結果は今日のわたしたちにどのように影響しますか。ナオミが霊において回復され,彼女の生涯の夢が実現されようとしていたこと,またルツやボアズそれに「某」と呼ばれた人物がこの挑戦に直面して演じようとしていたことはみな,自分の生き方をエホバの目的にかなったものにするよう今日のわたしたちをさえ動かさずにはおかないこの感動的な劇の要素となっています。次の記事はその結果を明らかにするものとなるでしょう。
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あなたの生き方をエホバの目的にかなうものにしなさいものみの塔 1972 | 5月15日
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あなたの生き方をエホバの目的にかなうものにしなさい
1 (イ)今日,思いと心のどんな態度が人類を苦しめていますか。(ロ)ルツとナオミの直面したどんな挑戦が,熱意と専心の点でわたしたちに教訓を与えるものとなっていますか。
「人みな信仰あるに非ざればなり」とは使徒パウロのことばです。(テサロニケ後 3:2)このようにいえる理由は数々ありますが,中でも著しい理由となっているのは,この20世紀においてきわめて強力になった自己決定の精神です。自己の欲望を充足させようとするこの欲求は,一種の宗教となり,創造者に対する愛は片隅に押しのけられ,創造者の目的に対する無関心さのため人びとの心と思いは完全にそこなわれています。したがって,エホバへの奉仕の挑戦を無私の念をもって受け入れ,自分の生き方をエホバの目的にかなうものにした人たちを見るのはエホバにとってどんなにか気持ちのよいことでしょう。また,わたしたちにとってそれらの人はなんとすぐれた模範でしょう。そうした顕著な模範の一つは,自分の民とモアブにあるわが家をあとにして,義理の母であるやもめナオミに同伴してベツレヘムに赴いた昔のルツのそれです。自分もやもめであったルツは,モアブで夫を見つけて,住み慣れた環境の中に落ち着き,家族をもうけたいと思えば,おそらくそうすることもできたでしょう。しかし,ナオミに対する愛,またエホバの崇拝に対する愛に動かされたルツは,すべてを捨ててナオミとともにイスラエルに赴いたのです。
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