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『全イスラエルが救われます』ものみの塔 1984 | 9月15日
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巻,汝の王国の来たらんことを」(英文)をご覧ください。
だれが「全イスラエル」を構成するか
4 イスラエル共和国が「神のイスラエル」ではないことを今日のどんな状況が示していますか。
4 ローマ 11章26節を書いたユダヤ人の筆者が「全イスラエル」と呼んだものを,ガラテア 6章16節では同じそのユダヤ人の筆者が「神のイスラエル」と呼びました。しかし,イスラエル共和国の内部,および世界各地にいる生来のユダヤ人が「全イスラエル」を構成するのでなければ,その成員となるのはだれでしょうか。今日の生来のユダヤ人は,自分たちがイスラエルの12部族のどれに属するかを知らないので,これは重要な質問です。彼らにはラビがいても,地上の祭司職や大祭司はなく,エルサレムの神殿も,モーセを通して神から与えられた律法に従って犠牲をささげるべき,その神殿の祭壇もありません。このすべては,西暦70年にローマ人がエルサレムを滅ぼして以来,欠落しています。彼らは神の名を発音することを拒んでいますが,その神が一国民としての彼らと共におられることを示す証拠ももはやありません。それでもエホバ神は,この20世紀においてさえ,地上に一つのイスラエルをお持ちです。ではその成員となっているのはだれですか。
5,6 パウロは,「神のイスラエル」であることが,生来の肉の状況に依存していないことをどのように示しましたか。
5 クリスチャンの使徒パウロとなる特権を得た生来のユダヤ人,タルソスのサウロは,満足のいく答えを与えています。西暦56年ごろにパウロは,「聖なる者となるために召され,神に愛される者としてローマにいるすべての人たち」へ長い手紙を書きました。(ローマ 1:1,7)この手紙の中でパウロは,真のイスラエル人,つまり肉に関するイスラエル人ではなく霊によるイスラエル人と神によってみなされた人々の実体を明らかにしました。パウロはこう書きました。
6 「イスラエルから出る者がみな真に『イスラエル』なのではないからです。また,アブラハムの胤だからといって,彼らがみな子供なのでもありません。むしろ,『「あなたの胤」と呼ばれるものはイサクを通してであろう』とあります。つまり,肉による子供が真に神の子供なのではなく,約束による子供が胤とみなされるのです。……さらに,イザヤはイスラエルに関してこう叫んでいます。『イスラエルの子らの数は海の砂のようであるとしても,救われるのは残りの者である。エホバが地上で決済をして結末をつけ,しかもそれを短くされるからである』。また,イザヤがそれ以前に言っていたとおりです,『万軍のエホバがわたしたちに胤を残されなかったなら,わたしたちはソドムのようになり,またゴモラのようにされていたであろう』」― ローマ 9:6-9,27-29。
7,8 生来のイスラエル人が,ローマ 11章に描写されている象徴的なオリーブの木の枝としての場所を満たすことができなかったのはなぜですか。
7 その後ローマ 11章で,パウロはイスラエル国民を,「エホバの友」である族長アブラハムと結ばれたオリーブの木になぞらえました。(ヤコブ 2:23)この「友」が従順を示した後,神はアブラハムにこう告げられました。「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聴き従ったからである」。(創世記 22:18)生来のユダヤ人の大多数が彼らの父祖アブラハムの信仰を示さず,神に従わなかったため,これら不信仰なイスラエル人たちは,大いなるアブラハムであるエホバ神を根とする象徴的なオリーブの木から切り落とされました。この象徴的な木の枝の数がそろうよう,彼らの場所は,信仰を持つ異邦人,つまり非ユダヤ人によって占められました。これら生来のイスラエル人の場所を占めている人々は,改宗者として,あるいはアブラハムより大いなる方,神の側の養子縁組によるイスラエル人として「アブラハムの胤」となりました。(ガラテア 3:26-29)彼らは霊的な意味でのイスラエル人,つまり霊的イスラエル人となりました。そのわけでパウロはさらにこう述べています。
8 「兄弟よ,われ汝らが自己を聡しとする事なからん為に,この奥義を知らざるを欲せず,即ち幾許のイスラエルの鈍くなれるは,異邦人の入り来りて数満つるに及ぶ時までなり。斯してイスラエルはことごとく救われん。録して『救う者シオンより出で来りて,ヤコブより不虔を取り除かん,我その罪を除くときに彼らに立つる我が契約は是なり』とあるが如し」― ローマ 11:25-27,日本聖書協会 文語訳聖書。
9 「諸国民の定められた時」が1914年に終了したにもかかわらず,イスラエル共和国は新しい契約の仲介者に対してどんな立場にありますか。
9 パウロが,『異邦人の時が満ちるまで』とは言っていないことに注目してください。むしろパウロは,「異邦人の入り来りて数満つるに及ぶ時まで」,あるいは,「諸国の人たちが入って来てその人たちの数がそろうまで」と述べています。異邦人の時,つまり,「諸国民の定められた時」は第一次世界大戦がぼっ発した1914年に終了しました。(ルカ 21:24,欽定訳)それにもかかわらず,70年後の現在,イスラエル共和国と,世界中の生来のユダヤ人は,エホバがイスラエルの家との間に制定すると言われた新しい契約に入っているとは主張していません。(エレミヤ 31:31-34)19世紀以上前の西暦33年のニサンの14日,ユダヤ人の過ぎ越しの晩に,その契約の仲介者となろうとしていた人がご自分の忠実な使徒たちにぶどう酒の杯を示し,このように言われました。「この杯は,わたしの血による新しい契約を表わしています。それはあなた方のために注ぎ出されることになっています」。(ルカ 22:20)しかしこの時以降ずっと,イスラエル共和国は,エレミヤの預言に予告されていた契約の仲介者としてイエス・キリストを認めていません。
10 信仰を持つ生来のユダヤ人は,全人類を祝福するためのアブラハムの「胤」のうちどれほどの部分を形成しましたか。どんな結果が生じましたか。
10 現代のイスラエル人によれば,「救出者」はまだシオンから出ていません。(イザヤ 59:20。ローマ 11:26)しかし西暦33年のペンテコステの日に,古代イスラエルの残りの者はイエスをメシアとして受け入れました。その時その残りの者は,約束された聖霊を受け,予告された新しい契約に入れられるようになりました。それでも,残りの者だけでは14万4,000人にも及ぶ,キリストの霊的な「花嫁」のそろった数を構成するには十分ではありませんでした。(啓示 7:1-8; 14:1-3; 21:9)このように,十分な数ではないものの,生来のイスラエル人が大いなるアブラハムに根ざす象徴的なオリーブの木の一部となりました。大いなるアブラハムは,古代のあの族長の「胤」が,ユダヤ人非ユダヤ人の別を問わず,地のすべての家族に祝福をもたらすと約束しておられました。
11,12 「全イスラエル」という語はどのイスラエルに言及するものですか。その点を聖書的にどのように証明できますか。
11 では,「全イスラエル」は,約束の「救出者」によりどのように「救われる」ことになっていましたか。パウロがローマ人に手紙を書いたのはガラテア人に手紙を書いた(西暦50-52年ごろ)後,西暦56年ごろであることに注目なさってください。したがって,ローマ 11章25節から27節は,「神のイスラエル」に関するガラテア 6章16節の言葉が記された後に書かれたのです。そのイスラエルとは,預言者モーセではなく,イエス・キリストによって結ばれた新しい契約の当事者です。イエスが仲介者となられたのは,新しい契約の仲介者としてイエス・キリストを受け入れたユダヤ人に聖霊がそそがれた西暦33年のペンテコステの日に一国民として生まれたクリスチャンのイスラエル,つまり霊的イスラエルに対してでした。
12 その場にはユダヤ人の使徒ペテロが居合わせていました。後にペテロは,「神の予知にしたがい,……選ばれた者たち」に手紙を書き,こう述べました。「あなた方は,『選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民,特別な所有物となる民』であり……あなた方はかつては民ではありませんでしたが,今は神の民……です」。(ペテロ第一 1:1,2; 2:9,10)これは,「全」イスラエルが「救われる」と言われているそのイスラエルが,現在のイスラエル人の共和国でも,全世界に散らばっている生来のユダヤ人でもないことを確証するものです。「救われる」ことになっていた「全イスラエル」とは,西暦33年のペンテコステの日に生まれ,その時に神の再生力を持つ霊によって生み出されつつあった霊的なイスラエルでした。約束の救出者が来られるのはこの「神のイスラエル」のところでした。
13 (イ)どのように,またいつ,約束の救出者はシオンから出ましたか。(ロ)時たつうちに,「神のイスラエル」にはその成員としてだれが含まれるようになりましたか。
13 この救出者は,西暦33年のペンテコステの日に確かに来られました。どのようにでしょうか。一国民の首都であったエルサレムの階上の部屋にいた約120人の弟子たちにエホバの聖霊がそそがれることによってです。こうしてこれらの弟子たちは,霊的な命に生み出された,また上なる霊の領域におけるとこしえの命の希望を持つ「神のイスラエル」の最初の部分となりました。この霊的イスラエルはやがて約束された救出者に信仰を持つ非ユダヤ人を含むようになりました。それはいつ生じましたか。サマリア人が改宗し,後には,ローマ人の百人隊長コルネリオとその家族および友人が西暦36年に改宗して純然たる異邦人が改宗した時,大いなるアブラハムであるエホバは,これら非ユダヤ人の信者たちすべてを,比喩的なオリーブの木の象徴的な幹であるイエス・キリスト,神の独り子の養子とされました。こうして,これらの非ユダヤ人は14万4,000の「枝」を持つそのオリーブの木から折り取られた不忠実なユダヤ人の場所を占めることができました。―使徒 10章; 15:14-21。
今や完遂される,接ぎ木のわざ
14 現在,「全イスラエル」に関してどんなことを示すに足る証拠がありますか。
14 西暦36年のあの重大な出来事があってから1948年が経過しました。ですから,「全イスラエル」を救うという全能の神の業が,現在までに堂々と完遂されてきたというのは筋の通ったことです。その期間は,西暦前1513年のモーセの時代から,無割礼の非イスラエル人,つまり異邦人が最初に改宗した西暦36年までの,神の恵みが独占的に与えられていたユダヤ人の時代よりもはるかに長い期間です。このかなりの長期間は,「全イスラエル」の十分な数の成員を備えることに関しては,「全イスラエル」を救うのに十分な時間だったに違いありません。現在,このことを証明するに足る証拠があります。
15 「事物の体制の終結」の「しるし」に関するイエスの預言の中で,イエスは「選ばれた者たち」がどのように集められると言われましたか。
15 イエス・キリストは,ご自分の目に見えない霊者としての「臨在」と「事物の体制の終結」に関する預言を語られた際,その期間について言及されました。こう述べておられます。「人の子のしるしが天に現われます。そしてその時,地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき,彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,天の雲に乗って来るのを見るでしょう。そして彼は,大きなラッパの音とともに自分の使いたちを遣わし,彼らは,四方の風から,天の一つの果てから他の果てにまで,その選ばれた者たちを集めるでしょう」。(マタイ 24:3,30,31)このイエス・キリストの「臨在」はいつ始まりましたか。
16,17 いつイエス・キリストの「臨在」は始まりましたか。集められた「選ばれた者たち」に関してどんな顕著な出来事が続きましたか。
16 イエスの「臨在」は,異邦人の「七つの時」が終わった1914年の秋に始まりました。(ダニエル 4:23-36)その時,栄光を受けたイエス・キリストは戦争で傷ついた地に対しご自分の力を行使されることに注意を向けられました。歴史の事実が示すところによると,その戦後の年1919年に,統治する王イエス・キリストは地上の至る所から「選ばれた者たち」を集めるために,天のみ使いたちを送り出されました。選ばれた者たちはものみの塔聖書冊子協会の監督のもとで世界的な一致に入れられました。それは,「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」という,マタイ 24章14節に記されているイエスの預言的な指示を遂行する面で,その後の努力を統合するためです。
17 1931年に開かれた神の民の全国大会で,彼らはエホバの証人として知られるように,全員一致で新しい名を採用しました。その後には,彼らが喜んで担った神のみ名について特集した,「エホバ」という協会の書籍が出版されました。エホバの証人はその新しい書籍を感謝して1934年に受け取りました。この年は,ナチの総統アドルフ・ヒトラーが中央ヨーロッパのエホバの証人たちを全滅させようとしていた時です。
18 やがてどんな出来事が生じて,「選ばれた者たち」のそろった数が集められたことが示されましたか。
18 その後の推移は,天の王国のために「選ばれた」,献身してバプテスマを受けた「者たち」を集める業が完遂へと向かってきたことを示しています。なぜそのように言えますか。なぜなら,1935年に,これら「選ばれた者たち」の注意と努力は,啓示 7章9節から17節(欽定訳)に予影されていた「大いなる群衆」に向けられたからです。この「大いなる群衆」つまり「大群衆」はだれによって構成されることになっていましたか。それは,エホバ神とイエス・キリストに栄光と誉れを帰し,地上の楽園での永遠の命を報いとして与えられる人々です。彼らは,人類史上最大の「患難」にもかかわらず死ぬことなくそれを通過し,地上の楽園に入ります。これら恵まれた人々は,りっぱな羊飼いイエス・キリストの地上の「ほかの羊」であると証明されました。彼らは喜びにあふれ,まだ地上で生きている「全イスラエル」の残りの者と「一つの群れ」にされることになっていました。―ヨハネ 10:16。
あなたの答えは?
□ イスラエル共和国が,ローマ 11章26節のイスラエルを意味していないのはなぜですか
□ 生来のイスラエル人が,象徴的なオリーブの木の枝としてすべての場所を占めることができなかったのはなぜですか
□ 約束された救出者とはだれですか。いつまたどのようにその方はシオンから出ましたか
□ 「全イスラエル」を構成するのはだれですか。いつまでにそのそろった数が集められましたか
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全人類を祝福するために救われる「全イスラエル」ものみの塔 1984 | 9月15日
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全人類を祝福するために救われる「全イスラエル」
1 イスラエル共和国が国際連合に所属しているからと言って同国が全人類を祝福するための神の手段になると期待すべきでないのは,なぜですか。
エホバはアブラハムに,地のすべての家族と国の民が,その忠実な族長の胤によって祝福を経験すると約束なさいました。(創世記 12:3; 22:17,18)しかし,西暦前20世紀になされたこれらの約束は,既に消滅した国際連盟の後身である国際連合が神に祝福されるということを意味してはいません。今日のイスラエル共和国は国連の成員国であるため,同国が全人類を祝福することにおいて古代イスラエルの神に用いられると期待すべきではありません。国連は実際のところ,アブラハムの「胤」による神の王国を阻む所に立っています。したがってそれは現代の「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」です。(マタイ 24:15)そうです,キリスト教世界の宗教上の僧職者やユダヤ民族のラビたちがその機構に天からの祝福を祈り求めているとしても,国連は祝福とはなりません。それは実際,「この事物の体制の神」つまり悪魔サタンの,目に見える政治的,商業的組織,すなわち「野獣の像」なのです。ですから国連はその獣のような組織もろとも間もなく滅ぼされてしまいます。―啓示 13:1-18。コリント第二 4:4。
2 「全イスラエル」の残りの者は,その行動の仕方において,どのようにイスラエル共和国と異なっていますか。
2 一方,イスラエル共和国は国連の他の成員国に対して必死で戦っています。しかし,「全イスラエル」の残りの者はイスラエル共和国には見倣いません。(ローマ 11:26)その残りの者は,「野獣の像」を崇拝しません。むしろ霊的なイスラエル人は,神の見方による国連の真の姿を,つまり国連が人々をイエス・キリストによるエホバの王国にではなく,自らの組織に頼らせようとするまがい物であることを暴露します。この理由で,「全イスラエル」の残りの者はエホバの宇宙的な組織の一部分としてとどまっています。既に霊的な「アブラハムの胤」の残りの者は,人類のすべての国の民と家族にとって祝福となっています。そのため,エホバの預言的な約束は真実となりました。
3,4 1914年のおよそ2,700年前,エホバはイザヤに霊感を与えて,「すべての国の民」について何を書かせましたか。
3 エホバ神は,鋼鉄製の戦車や飛行機が戦争で初めて用いられ,塹壕戦が特色となり,兵士たちがガスマスクを使うことを余儀なくされ,全面戦争で“ビッグバーサ(42㌢砲)”のような長距離用の大砲が用いられる時を2,700年以上前もって指摘しておられました。そうです,第一次世界大戦の27世紀ほど前に,エホバ神は預言者イザヤに霊感を与え,その同じ時に起こることになっていた別の事柄を描写させました。こう記されています。
4 「アモツの子イザヤがユダとエルサレムに関して幻で見た事: そして,末の日に,エホバの家の山はもろもろの山の頂より上に堅く据えられ,もろもろの丘より上に必ず高められ,すべての国の民は必ず流れのようにそこに向かう。そして多くの民は必ず行って,こう言う。『来なさい。エホバの山に,ヤコブ[イスラエル]の神の家に上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう』。律法はシオンから,エホバの言葉はエルサレムから出るのである。そして,神は諸国民の中で必ず裁きを行ない,多くの民に関して事を正される。そして,彼らはその剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない。ヤコブの家の者たちよ,来なさい。エホバの光のうちを歩もう」― イザヤ 2:1-5。
5 イスラエル共和国の行動の仕方を前にして,「エホバの家」に関するイザヤの預言はどんな観点から見なければなりませんか。
5 今日わたしたちは,このすばらしい預言が,イスラエル共和国の首都である中東のエルサレムに成就しているのを見ていません。シオンの山と呼び習わされてきた所にエホバの神殿はなく,そこにあるのはイスラム教の岩のドームとアラーにささげられたモスクです。数多くの国の旅行客がこの宗教的な場所を訪れますが,それは崇拝の目的のためではなく,この美しいイスラム教の建造物を眺めるためにすぎません。それで,はなはだしく病んだこの事物の体制の「末の日」において,イザヤの預言が現代のイスラエル国家に成就しているとは全く言えないことが明らかになります。同国は,アブラハムに対するエホバの約束の成就として全人類を祝福するために救われる「全イスラエル」となるようには意図されていませんでした。したがって,「エホバの家の山」という預言的な表現は,「神のイスラエル」に関して霊的な観点から見なければなりません。―ガラテア 6:16。
6 (イ)ペテロは,「神のイスラエル」がどんな種類の国民であることを,どのように示しましたか。(ロ)世界のどんな出来事が生じていた時に,「すべての国の民」は「エホバの家」に流れのように向かい始めましたか。
6 この「神のイスラエル」は霊的な国民です。使徒ペテロは次のように書いて,その点を指摘しています。「あなた方は,『選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民,特別な所有物となる民』であり,それは,闇からご自分の驚くべき光の中に呼び入れてくださった方の『卓越性を広く宣明するため』なのです」。(ペテロ第一 2:9)現在のこの「聖なる国民」の残りの者は,「エホバの家」の象徴としての立場を占めており,今日のエホバの証人の中核を成しています。「すべての国の民」が,エホバの証人によっていわば山々の頂の上に高められてきた霊的な「エホバの家」に流れのように向かい始めたのは,「末の日」に入ってから21年たった時のことでした。その時ヨーロッパでは,ローマ・カトリックのファシズムとヒトラーのナチズムが猛威を振るっていました。
7 さまざまな国の民が「エホバの家」に流れのように向かい始めたのが無意味な出来事でなかったのはなぜですか。
7 この意味深い始まりを特色づけたのは,アメリカ合衆国の首都ワシントンで1935年の晩春に開かれた全国大会です。その大会の非常に注目すべき話の中で,「全イスラエル」の一員であった,当時のものみの塔聖書冊子協会の会長J・F・ラザフォードは,国際聖書研究者たちの間に広まっていた理解の誤りを正しました。ラザフォードは,人類のあらゆる部分から集められ,神の霊的な神殿(エルサレムの有形の神殿は西暦70年にローマ人によって滅ぼされていたため)で神を崇拝することになっていた「大いなる群衆」,つまり「大群衆」が地的な級であることを指摘しました。(啓示 7:9-17,欽定訳)この級には,ハルマゲドンを生き残って,1914年以来天で支配しておられるイエス・キリストの,近づきつつある千年統治の新しい事物の体制に入る見込みがありました。
8 (イ)1935年のワシントン特別区の大会で,どんな画期的な出来事が生じましたか。(ロ)「すべての国の民」が「エホバの家」に流れのように向かっていると言えるのはなぜですか。
8 啓示されたこの光に対する反応は画期的なものでした。この劇的な大会において840人の大会出席者が,イエス・キリストを通して行なうエホバ神への献身の象徴としてバプテスマを受けました。そのグループの人々が幾つの国から来ていたかは確認されていませんが,彼らは地上の楽園の希望を思いに描いていました。それから49年以上たった今日,エホバの証人の数は「全イスラエル」の数をはるかに上回っています。彼らは全世界の205の国々で活発に働いています。それで,広い意味で言えば,「すべての国の民」はエホバの高められた崇拝の家に流れのように向かっているのです。
エホバの証人 ― どんな種類の人々か
9 イスラエル共和国とは異なり,エホバの証人はイザヤ 2章4節の成就としてどんな道を歩んできましたか。
9 イスラエル共和国の背景と対照をなすものとして,今日エホバの証人はどのような種類の人々であることが分かっていますか。同共和国と同じように,彼らは自らの生存を脅かす者たちと肉的な戦争を行なうために武装していますか。そのようなことはありません! むしろ彼らは,イザヤ 2章4節に予告されているとおりの種類の人々です。彼らは神の霊的な家でエホバの崇拝を高めるゆえに,比喩的な方法で剣をすきの刃に,槍を刈り込みばさみに打ち変えてきました。自分たちの指導者であるイエス・キリストに見倣う彼らは,保護者としてのエホバ神に信頼を置いています。事実上地のあらゆる国の民から来ているとはいえ,彼らは国家主義的な敵意に支配されることはありません。世の政治に巻き込まれることもありません。彼らは真の意味で肉的な戦いの技術を学ぶことをやめました。世の闘争と政治に対しては中立の態度を保ちます。実際彼らは防御と攻撃双方の肉的な武器を使うことをやめました。イエス・キリストの言われたこと,つまりイエスの王国は「この世のものではない」ということを信じています。さもなければ,イエスの弟子たちは,軍事的に最新鋭の肉的な武器を執ってそのために戦ったことでしょう。―ヨハネ 18:36。
10 (イ)どんな戦いにのみエホバの証人は携わりますか。(ロ)証人たちはどんな「新しいおきて」に従いますか。どのようにそれを行ないますか。
10 むしろ,エホバの証人はただ霊的な戦いにのみ携わります。彼らの戦いは天の場所にある邪悪な霊に対するものです。それで,彼らの武器は肉的な,血を流すものではありません。(エフェソス 6:10-18)彼らの戦いは人類に対するものではなく,彼らはエホバの組織内の霊的な兄弟たちと戦うことを決してしません。イエスはご自分の人間としての命を弟子たちのために捨てるほどわたしたちを愛されましたが,それに倣って,霊的な兄弟たちを愛しなさい,と命令されました。彼らはイエス・キリストのその命令に従います。これは,イエスが追随者たちにお与えになった,わたしがあなた方を愛したようにあなた方も互いに愛し合うべきであるという「新しいおきて」と調和します。―ヨハネ 13:34。
11 エホバの証人の示す愛は,どんな律法を成就していますか。
11 エホバの証人は,預言者モーセを通して与えられた律法を成就するその種の愛によって動機づけられています。こうした愛は,何人をも損なうことが決してなく,その語の20世紀における意味に従った場合の単なる“慈善”以上のものです。聖書において,「愛」を意味するヘブライ語とギリシャ語には,“慈善”以上の意味があります。―ジェームズ王欽定訳,カトリック・ドウェー訳のコリント第一 13章をご覧ください。
呪いのためではなく祝福のため
12 「すべての国の民」が祝福を受けられるようになるためには「全イスラエル」の全成員が天にいることが必要でしたか。
12 前述のことから,すべての家族と国の民を祝福することが大いなるアブラハムであるエホバ神の「胤」によって始まるために,必ずしも「全イスラエル」の残りの者が天に入ってその「胤」の主要な方であるイエス・キリストと共になる必要のないことが理解できます。今やほぼ半世紀にわたり,地の家族と国の民の成員はアブラハムの約束の「胤」からの祝福を受けてきました。既に250万人以上の「ほかの羊」が共に集められ,りっぱな羊飼いの,天的な希望を持つ,霊によって生み出された羊のような追随者たちの残りの者と「一つの群れ」を形造っています。―ヨハネ 10:16。
13 イエスは「ほかの羊」に関し,何を目的として神殿に来られましたか。彼らに対するそのイエスの態度は,間もなくどのように頂点に達しますか。
13 祝福されたその「ほかの羊」は,王キリストの千年統治の期間に地に回復される楽園を,そのまさに初めから受け継ぐという栄誉ある希望を与えられてきました。したがって,イエス・キリストはエホバの「契約の使者」として裁きの手続きのために霊的な神殿に来られた時,「ほかの羊」を呪うことではなく,祝福することを目的としておられました。(マラキ 3:1-3)この祝福は,「ハルマゲドン」に集められる地上の敵に対する,近づきつつある「全能者なる神の大いなる日の戦争」の間じゅう保護されることにより,頂点に達します。(啓示 16:14,16)古代において,メギドの町はエホバ神の勝利の場所でした。(ヨシュア 17:11。ゼカリヤ 12:11)象徴的なハルマゲドンにおいて,神はご自身の永遠の誉れとなるよう最も偉大な勝利でご自身を飾られることでしょう。そこにおいて,神の高められたみ子イエス・キリストが陸軍元帥となります。―啓示 19:11-21。
14 (イ)「ほかの羊」はだれの救いに関して喜ぶべき理由を持っていますか。(ロ)「ほかの羊」は既にどれほどの数に達していますか。
14 神の力と壮大さが最も目ざましく示されるその時,「ほかの羊」はずっと保護されます。その決定的な戦いを傍観し,その戦いを生き残る人々は,第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の平和な時期に「全イスラエル」の残りの者が「救われ」たという事実をどれほど喜ぶことでしょう。1935年の春以来,この救われたイスラエルには,数の定められていない「大いなる群衆」が加えられてきました。りっぱな羊飼いイエス・キリストの「ほかの羊」として,その数は今や300万に達しようとしています。彼らは,エホバ神を予影していた人物,つまり神の「友」アブラハムに対してエホバ神がなさった約束の成就として,人類の「すべての国民と部族と民と国語」から来ています。(啓示 7:9-17。ヤコブ 2:23)しかも,これらの「ほかの羊」を集める業はまだ終わっていません。大いなるバビロンの滅びとその政治的な情夫に対する神の戦いが生ずる前にりっぱな羊飼いが彼らを集め終えられる時,最終的にその数がどれほどになるか,わたしたちには分かりません。―啓示 17:1-18:24。
15 「ほかの羊」と「全イスラエル」の残りの者との交わりは,どんな祝福された状態の始まりですか。
15 「ほかの羊」が「全イスラエル」の残りの者と交わり,アブラハムの「胤」の主要な方,りっぱな羊飼いであるイエス・キリストのもとで「一つの群れ」になることは,ある事柄の始まりとなりました。何の始まりでしょうか。「全イスラエル」が「ほかの羊」にイエス・キリストの千年統治の期間中与える予定の十分な祝福の始まりです。彼らは神の保護を受けてその千年統治へと生きて入ります。
16 「ほかの羊」が「全イスラエル」の残りの者の側に立ってエホバに仕え続ける決意を抱いているのはなぜですか。
16 啓示 7章14節から17節の成就として,「ほかの羊」は既に『自分の長い衣を子羊の血で洗って白くしました』。そのわけで彼らは,霊的に「その神殿で昼も夜も」神を崇拝することを許されています。そうです,「神の子羊」であるイエス・キリストは彼らが『もはや飢えることがない』よう,既に彼らを霊的な食物で養っておられます。(ヨハネ 1:29)さらに,彼らの忠実な羊飼いは,「命の水の泉」,つまり地上の楽園での命に彼らを導いておられます。「全イスラエル」の残りの者を通して既に受けているすべての祝福に感謝し,「大群衆」はこれからもこの忠実な残りの者の側に立ってエホバに仕え続けます。これらの「ほかの羊」は,「一人の羊飼い」のもとにある「一つの群れ」において,イエス・キリストによる神の王国のためそのようにします。彼らはこれを,王国のすべての敵が,神の「足台」つまり地の表から絶滅させられる時まで行なう決意を抱いています。―イザヤ 66:1。マタイ 5:34,35。使徒 7:49。
どのように答えますか
□ イスラエル共和国が全人類を祝福するためのエホバの手段でないのはなぜですか
□ 「すべての国の民」が今「エホバの家」に流れのように向かっているとなぜ言えますか
□ エホバの証人はどのようにイザヤ 2章4節を成就してきましたか
□ イエス・キリストは,「ほかの羊」に対してどのような態度を執っていますか。それは間もなくどのように頂点に達しますか
□ 「ほかの羊」と「全イスラエル」の残りの者との交わりにおいて,どんな祝福された状態が既に始まっていますか
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