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コリント第二 注釈 11章新世界訳聖書 (スタディー版)
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棒で打ちたたかれたことが3度: これはローマ当局がしばしば与えた刑罰の1つ。「使徒の活動」は,パウロがこのように打たれた3度のうちの1度についてしか述べていない。それはコリント第二の手紙を書く前にフィリピで起きた。(使徒 16:22,23)パウロはエルサレムでユダヤ人にも打たれたが,棒が使われたことは述べられていない。(使徒 21:30-32)いずれにしても,コリントはローマの植民市で,パウロの手紙を読む人たちはそのような殴打が残忍なものであることを間違いなく知っていた。その屈辱的な刑罰は服を剝ぎ取ることから始まった。(テサ一 2:2と比較。)パウロのようなローマ市民は法律によって守られ,打たれずに済むはずだった。それでパウロは,フィリピの行政官たちが権利を侵害したことを指摘した。使徒 16:35,37の注釈を参照。
石を投げ付けられた: パウロはここで,使徒 14:19,20に書かれているルステラでの出来事について述べていると考えられる。石打ちはモーセの律法に記されている処刑方法だった。(レビ 20:2)パウロに石を投げ付けたのは暴徒だったと思われ,狂信的なユダヤ人や,もしかすると異国の人が関わっていた。パウロを殺すつもりだったことは明らかで,実際その人たちは石を投げ付けた後,パウロは死んだと思った。これらの節に記されているような残忍な行為は,パウロの体に消えない傷を残したに違いない。
難船したことが3度: 聖書には,ある時にパウロが経験した難船について詳しく書かれているが,それはこの手紙が書かれた後に起きた出来事だった。(使徒 27:27-44)パウロは何度も船で旅をした。(使徒 13:4,13; 14:25,26; 16:11; 17:14,15; 18:18-22)それで,そうしたひどい経験をしかねない状況はたくさんあった。パウロが一昼夜海上を[直訳,「深みで」]漂ったのは,難船した時のことだったと思われる。パウロは嵐の海にもまれる中,壊れた船の何かにつかまって一昼夜過ごし,救出されたか岸に打ち寄せられたのかもしれない。そのような恐ろしい目に遭っても,船で旅することを決してやめなかった。
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