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使徒の活動 注釈 28章新世界訳聖書 (スタディー版)
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パウロは……丸2年とどまり: パウロはこの2年間に,エフェソスのクリスチャンへの手紙(エフ 4:1; 6:20),フィリピのクリスチャンへの手紙(フィリ 1:7,12-14),コロサイのクリスチャンへの手紙(コロ 4:18),フィレモンへの手紙(フィレ 9),それに恐らくヘブライ人のクリスチャンへの手紙も書いた。パウロは西暦61年ごろに軟禁を解かれたようだ。たぶん皇帝ネロかその代表者の前で裁判にかけられ,無罪を宣告されたと思われる。釈放後,パウロらしい精力的な活動を続けた。この時期に,スペインに旅する計画を実行に移したかもしれない。(ロマ 15:28)ローマのクレメンスの西暦95年ごろの著作によれば,パウロはローマ帝国の「西の最果てに」行った。釈放後の3通の手紙(テモテ第一,テモテ第二,テトス)からすると,パウロはクレタ,エフェソス,マケドニア,ミレトス,ニコポリス,トロアスを訪れたのだろう。(テモ一 1:3。テモ二 4:13,20。テト 1:5; 3:12)パウロはギリシャのニコポリスで再び捕らえられて,西暦65年ごろローマでまた拘禁されていたと言う人もいる。ネロは今回,憐れみを掛けなかったようだ。前の年にローマ大火が起き,ローマの歴史家タキトゥスによれば,ネロはクリスチャンに罪を着せた。そして,残忍な迫害を始めた。パウロは処刑が近いことを予期し,テモテへの2度目で最後の手紙の中で,テモテとマルコにすぐ来てくれるよう頼んだ。この時期,ルカとオネシフォロは勇気を奮い起こし,パウロを訪ねて力づけるために命を懸けた。(テモ二 1:16,17; 4:6-9,11)パウロは西暦65年ごろ処刑されたと思われる。死に至るまで,「イエスが行い,教え始めた全ての事柄」について際立った証人だった。(使徒 1:1)
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