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使徒の活動 注釈 18章新世界訳聖書 (スタディー版)
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エホバの道: 次の節で「神の道」というよく似た表現が使われている。クリスチャンの生き方は,唯一の真の神エホバへの崇拝と神の子イエス・キリストへの信仰を中心としている。「使徒の活動」は,この生き方を単に「この道」とも呼んでいる。(使徒 19:9,23; 22:4; 24:22。使徒 9:2の注釈を参照。)「エホバの道」という表現は福音書に4回出ていて,それはイザ 40:3からの引用。(マタ 3:3,マル 1:3,ルカ 3:4,ヨハ 1:23の注釈を参照。)イザ 40:3の元のヘブライ語本文ではテトラグラマトンが使われている。「エホバの道」という表現は裁 2:22,エレ 5:4,5にも出ている。使徒 19:23の注釈,付録C3の序文と使徒 18:25を参照。
教えられ: ギリシャ語動詞カテーケオーは,字義的には「下に響かせる」という意味で,口頭で教えるという考えを含むこともある。神の言葉の真理を,学ぶ人の頭と心に繰り返し響かせると,その人はほかの人を教えることができるようになる。ガラ 6:6と比較。そこでは同じギリシャ語が2回使われている。
聖なる力によって熱意に燃え: 「熱意に燃え」と訳されているギリシャ語は字義的には「沸騰する」という意味で,ここでは比喩的に使われ,熱意や熱心さがあふれていることや発揮されていることを伝えている。ここでギリシャ語プネウマが「聖なる力」と訳されている。聖なる力は推進力として働き,エホバの意志に沿って物事を行うよう人を動かし,力づけることができる。(マル 1:12の注釈を参照。)とはいえ,ギリシャ語プネウマは,心から生じて人を駆り立て,ある特定の仕方で語らせたり行動させたりする力を指すこともある。それで,この節では両方合わせて,アポロが神の聖なる力に導かれて正しいことに対する熱意と熱心さを示していることを表現しているのかもしれない。しかし,ここの文脈でこの表現は強い意欲と熱意を指す慣用句にすぎないと考える人もいる。そうであれば,イエスの名によるバプテスマを知らなかったアポロにこの表現が使われていることの1つの説明になるだろう。いずれにしても,正しいことに対する熱意を示し,より正確な教えを喜んで受け入れるには,アポロの動機が神の聖なる力に導かれる必要があった。用語集の「プネウマ」参照。
ヨハネのバプテスマ: このバプテスマは,人が律法に対する罪を悔い改めたことを人々に示すものだった。ユダヤ人はエホバがモーセに与えた律法に従うことに同意していた。(出 24:7,8)西暦33年のペンテコステより後にヨハネのバプテスマを受けても有効ではなかった。律法契約が有効ではなくなっていたから。(ロマ 10:4。ガラ 3:13。エフ 2:13-15。コロ 2:13,14)それ以降,エホバが認めるバプテスマは,イエスが弟子たちに行うよう指示したものだけだった。(マタ 28:19,20)ここのアポロに関する出来事は西暦52年ごろに起きた。
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