楽園はあなたにとって何を意味しますか
あなたは今すぐ楽園<パラダイス>で生活したいと思われますか。『冗談じゃない。現在地上に楽園などありゃしない』とあなたは言われます。それとも楽園はあるのでしょうか。「楽園」が何を意味するかによって,確かにその答えも違ってきます。
あなたは楽園という言葉から何を思い浮かべますか。美しい自然の景色ですか。破壊的な汚染に侵されていない雄大な川やのどかな渓谷でしょうか。ライオンやトラや子羊やシカなどの動物たちがみな互いに仲良く暮らしている様でしょうか。なるほど,そうした楽園のような状態のもとで生活するのは,控え目に言っても大変楽しいことでしょう。しかし,悲しいことに,この地上にまだ幾つか景勝地があるものの,楽園で生活しているとはとても言えません。それとも生活しているのでしょうか。
次のことを考えてみましょう。「楽園<パラダイス>」という言葉はその完全な意味からすると,樹木や草花,つまり美しい環境だけでなく,それよりはるかに多くの事柄を含んでいます。きれいな景色だけでは,生活は楽しいものになりません。それ以上のことが必要です。一例を挙げましょう。広々とした田園地方の一番美しい所とか非常に魅惑的な熱帯の島など,地上のどこにでも,住む場所を選ぶことができたとします。それでも近所の人々が憎悪に満ち,卑劣で意地が悪く,こちらの人格や資産に対して敬意を示さなかったら,本当に幸福だと言えるでしょうか。恐らく幸福とは言えないでしょう。周囲の環境がどれほどすばらしくても,そのような人々はあなたの生活をみじめなものにしかねません。
ですから,論理的に言って,「楽園」は単に物理的な環境だけでなく,人々にも依存しています。なぜなら,楽園のことを考える時,互いに愛し合い仲良く暮らす,温和な気質の幸福な人々のことも頭に浮かぶのではないでしょうか。ですから,地上の美しい土地が完全な意味で楽園と呼ばれるには,まず,そこに住もうとする人々が神に似た人格を培わなければなりません。
聖書は人々の気質上のそうした変化の徴候を示し,人々の霊的な状態,すなわち人々が人となりを作り変え,生活を改善する様を描写しています。しかし,『そうした象徴的な楽園<パラダイス>が今日実際に存在しているだろうか。存在しているとしたら,どこにあるのだろうか』と思う方もおられることでしょう。