「私たちの神の家をなおざりにしない」
― 1966年エホバの証人の年鑑から
タイ
伝道者最高数: 286人
人口: 29,000,000人
比率: 101,399人に1人
バンコック支部事務所の管轄下にある四つの国,すなわち,タイ,カンボジア,ラオス,ベトナムのエホバの証人は,昨奉仕年度,真理の種をたくさん播きました。幾千時間にものぼる奉仕の業が続けられました。しかしこの増加はすべてエホバ神によります。なぜならばエホバはご自身の目的に従って組織に人を加えられます。種を播くには多くの忍耐が必要です。御国伝道者は種をまき,水を注ぎますが,ここ東南アジアの伝道者も同様な奉仕をしています。ご承知のように,ここ東南アジアは緊迫した情勢下にあり,その日の不安で頭がいっぱいの人ばかりです。しかし福音はのべ伝えられています。次に支部からの興味深い経験をおしらせしましょう。
昨奉仕年度の初め,期待されていたノア兄弟のバンコック訪問があり,タイ語の「ものみの塔」誌について少しの変更の必要が検討されました。変更を実施した結果,得られた新しい予約は前奉仕年度よりほとんど50パーセント,1冊ずつ配布された雑誌は25パーセントの増加を見ました。
それからチェンマイ市でタイの1番古い伝道者の一人がなくなりました。彼は以前官吏であり,その後キリスト教の一宗派の経営する病院で働き,第二次世界大戦の初めごろに真理を聞いたときには,長老派神学校の校長でした。
彼の経歴が物語るように彼のことを知っている人はたくさんいました。この土地の習慣に従い,人々は遺体の置かれた御国会館にきて,敬意を表わしました。兄弟たちは,この機会を利用し,葬式のときまで,聖書の話を毎日しました。幾百人という人が御国会館での話を聞き,又墓地では別の話を聞きました。
講演会の招待ビラも真理の種を播くのに一役買っています。孤立した伝道者を訪問した巡回のしもべが,小さな群れで行なわれる講演会を宣伝していた時,一人の青年は,喜んで招待ビラを受けとりましたが,自分も伝道しようと思っているので講演会に行けなくてすみませんと言いました。招待ビラの裏面の「神を真とすべし」の広告を読むやこの青年は心をおどらせ,1部を手に入れたいがどうしたら良いかと支部事務所に問いあわせて来ました。その村をふたたび訪問した巡回のしもべは,その青年をたずねるようにとの指示をうけました。神の御名「エホバ」や数々の聖書の教理について2時間も論じあいました。青年は聖書研究に加わらない名前だけのクリスチャンのグループがこの村に,三つあることについてとても心配していました。
次の訪問で「人間とは何か」の章を学んだとき,いわゆるキリスト教の教理が非聖書的であることを知って青年はびっくりしました。3時間にわたる研究や討議もその青年には短かすぎたので,青年は2度目の手紙を協会に書きました。それは協会の代表者の訪問に対する感謝と,話し合う時間が短かすぎて残念だということが書かれてありました。また彼は聖書研究の集まりは小さいグループであり,何の組織にも属していないと書いていたのです。それで支部事務所は,近く開かれる地域大会についてしらせ大会に出席してエホバの証人の実生活に触れるよう招待しました。青年は出席し,大会の仕事にも仲間入りし,また,「どのように伝道するか」を見学するため家から家の奉仕にもでかけました。帰郷前に彼は地域のしもべに会い,「どうぞ私たちを定期的に教える人を派遣してください」とたのんだのです。青年は開拓者に泊まっていただくために自分の家を提供したいと申し出ました。孤立した群れの人々を助けるよう,夫婦の特別開拓者を送る計画がすすめられています。関心を持つ人がそこで増加しているようですが,すべてのきっかけはたった1枚の招待ビラでした。
カンボジア
伝道者最高数: 4人
人口: 5,750,000人
比率: 1,437,500人に1人
1965年5月の終わり頃,移民局が旅券の書きかえをしないので,二人の宣教者はカンボジアを去らねばならなくなりました。しかし,伝道の業を続けることがエホバの御心である以上,奉仕活動が継続されるのはあきらかです。次の経験はそのことを示しています。1961年,祭祀省はエホバの証人が宗教的な集会を開くことだけを許可する意味の1通の書簡をよこしました。この手紙は,エホバの証人が公に伝道することを禁じていました。もし警察がこのことを知ったなら,宣教者を毎日監視していた警官はエホバの証人の伝道を中止させたにちがいありません。しかしどうしたことか理由はわかりませんが,前述の書簡のカーボンのうつしが警察に届かなかったのです。警察が受け取った書簡は前の手紙で概略した範囲内の宗教活動をエホバの証人に許してもよいという第2番目のものだけでした。この間違いが発見された1965年4月までの4年間,このような状態が続きました。しかしその時警察はエホバの証人の宣教者や他の宗派の宣教者全部の追放をすでに決定していました。私たちにとってこの4年間は,エホバのお約束がほとんど知られていないカンボジアの国で多くの人々に永遠の福音をもたらし,真理への関心の火をともす機会となりました。
ラオス
伝道者最高数: 18人
人口: 3,000,000人
比率: 166,667人に1人
二,三年前,家族は先祖崇拝をしているという,高校生くらいの年格好の3人の少女との研究が始まりました。この種族には血を入れたいろいろの料理を食べる習慣がありました。毎週行なわれる聖書研究をとおして,一歩一歩と少しずつ聖書の真理が少女たちに教えられたので,どんな問題も克服されてゆきました。血の神聖さについて,聖書の教えを学んだ時,「神の律法はなんて高潔なんでしょう」と少女たちは言いました。その時から彼女たちは,食事のときに神の律法に反するごちそうは口にしません。また先祖崇拝の正しくないことがわかると,両親が力ずくでさせようとしても,先祖の位牌にひざまずくことに反対し始めました。奉仕に招待すると少女たちはやって来ました。今,3人とも自分一人で聖書の研究を司会しています。そのうちの二人は自分の弟や妹たちとの研究です。そして二人は浸礼についてたずねました。
8年前,貴族出身の一人の婦人は,雑誌活動で真理に接することができました。少し興味を持っていたのですが,なにしろ彼女の家の猛犬を見ると,兄弟たちは再訪問することに不安を感じました。のちに,この婦人は一人の姉妹と少しの間勉強しましたが,また止めてしまいました。3年前,研究を再開し,今度は熱心に学んでいます。婦人の生活に何か変化があったように感じられましたが,この変化につれて心境も変化したようです。彼女は聖書を4回も読み,熱心に学びました。聖書を学んだ結果,この婦人は自分のたくさんの有名人の友だちとの交わりを絶たねばなりませんでした。彼らの交わりは不健全だったからです。婦人は,急速に進歩しました。彼女は総理大臣も含めて政府のおもだった役人のほとんどに伝道し,家から家の伝道にも参加しました。会った人々は全部婦人の友だちだったのでどの人にもみな本を配布することができました。その結果,エホバの証人は政府に好感を持たれたのです。やがて婦人は献身の心も定まり,タイ国のピッアヌローク市の地域大会で浸礼を受けました。その時はすでに聖書研究活動で実を結び,一緒に学んでいる一人は大会に出席しました。忍耐してこの婦人を訪問したことは,たしかに報いをもたらしました。生活に変化があったときに,この婦人はエホバに仕えることを心から願い,何年もの間,兄弟たちが心をこめて訪問してくれたことを思い出しました。
ビルマ
伝道者最高数: 270人
人口: 24,000,000人
比率: 88,000人に1人
ビルマ人の大半は仏教徒ですが,昨年中伝道者はよく増加しました。報告によればこの増加の一つの理由は,兄弟たちが巡回大会に出席して真理に対する認識を深めたことにあります。自分たちの神の家をなおざりにしないゆえに兄弟たちは霊的に強められています。エホバ神とみ子イエス・キリストとを信ずる人は非常に少ないのです。それで兄弟たちは集会に出席し,互いに交わることによって自分たちの霊的な力を養わねばなりません。兄弟たちはまた家から家を訪問して神のみことばを人々に伝えます。支部のしもべはビルマで起きた次のような興味深い経験を寄せてきました。
「不活発」になった伝道者が活発な伝道者にもどるよう助けるための協会の取り決めは良い結果をもたらしました。次のような経験はこの事を示しています。「ある巡回のしもべはその訪問中に伝道者の記録カードを調べ,二人の不活発な伝道者がいることに気づきました。予定の水曜日の晩,巡回のしもべと会衆のしもべは一緒にそれらの伝道者を訪問しました。不活発になった伝道者が以前に持っていた熱意をとりもどせるように,その家族の者すべてを集めて行なった話には,近所のヒンズー教徒の信者たち数人も出席しました。そして皆が集まって一緒に強勉することになりました。その後この研究はよく進歩しました。巡回のしもべが再び訪問した時には,その二人の不活発な伝道者が再び活発に奉仕していただけでなく,この二人の親たちと隣家の以前のヒンズー教徒3人も熱心な伝道者になっていました。会衆のしもべは,彼らがそれまで男根崇拝に用いていた像をどのようにして打ち砕いたか説明しました。そしてただ一つ残っていたイエスの肖像画について,彼らは会衆のしもべに破り捨てるべきかどうかを聞きました。しもべがうなずいてそうすることが正しいと示した時,他の偶像同様に人々はその肖像画をも捨ててしまいました。そのうえ近くに住んでいたヒンズー教徒の二家族も真理を受け入れました。不活発な伝道者を助けることの重要性を心にとめて働いた結果,こうして4家族が真理を受け入れました。これで,不活発になった伝道者二人が復帰し,この他以前にヒンズー教徒だった人6人を含めてさらに8人の人々が今真理の道を歩んでいます」。
家庭聖書研究を行なっている人の家族がなかなか研究に加わろうとしない場合は多いものですが,時には私たちの努力が報われます。次の手続はこの事を物語っています。「開拓者として働くある兄弟は,家庭聖書研究に一緒に参加するよう小学生のひとりの少年にすすめましたが,その少年は神を信じていないからとの理由で応じませんでした。しかし兄弟が何度かすすめたところ,少年はしかたなしに兄弟のすすめに応じました。最初は興味を示しませんでしたが,何回か研究するうちに彼は真理のひびきに気づき始め,学校の教科書のことを忘れたかのように,ものみの塔協会の出版物を勉強し始めたのです。そして,数キロ離れた別の村に住んでいる自分の父親にも証言してみました。しかし父親は関心を示すどころか,自分の教えの偽わりが明らかにされたため怒ってむすこにやりを投げつけたほどでした。この時以来父親はむすこのことを考えなくなり,むすこが書き送った手紙を開封することもなく送り返すようになりました。この少年が住んでいた家の主婦は,彼が本気で父親の信じていた仏教を捨てて西洋の宗教を始めたのに気づき,真理のことを嫌うようになり,その反感はますますつのって,ある日ついに少年を家から追い出してしまいました。兄弟たちの世話になってはいけないと考えた少年は,あてどもなく道を歩いていましたが,そのうちに日も暮れてしまいました。その時幸いにも,夕方遅くある家を訪問して帰り途にあった例の開拓者がこの少年に偶然に出合ったのです。どうしたのかと開拓者に色々尋ねられ,少年はその日のできごとを説明しました。それから兄弟は少年を家に連れてゆき,その機会に今度は少年と家庭聖書研究を続けるよう話しをまとめました。その後最近のある巡回大会でこの少年は浸礼を受け,その兄弟は大きな喜びを得ました。この開拓者が行なったように,皆さんもいつもよく注意して,家庭聖書研究に家族の中の他の人々が参加するようすすめてください。
マレーシア
伝道者最高数: 375人
人口: 10,831,288人
比率: 28,883人に1人
シンガポールおよびボルネオの二州が最近結成されたマレーシア連邦への合併を祝ったのはわずか2年前のことでした。昨奉仕年度の終わりにシンガポールは独立国になりました。政府首脳はこの問題を仲裁によって解決することができなかったため,孤立した町であるシンガポールは今や再び一つの独立国になりました。しかしマレーシア全土のエホバの証人は昨年の8月と同様に今も一致しています。証人たちは「神のことば」大会にこぞって出席し,昨奉仕年度中のよい増加をともに喜ぶことができました。次に支部のしもべからの経験をのせます。
「私はなぜこれほどの長い年月交わらなかったのでしょうか」と,16年前にエホバの証人と研究したことのあるひとりの兄弟は語りました。彼は会衆と交わり,奉仕にさえ参加したのです。その後数ヵ月してこの若者は姿を見せなくなりました。物質主義の考えが真理にとって代わったためでした。何年にもわたって彼をひきもどそうとする努力が払われましたが,成功しませんでした。むしろ彼はそれに怒りをさえ感じました。忙しさにも追われていました。彼には多くの収入があり,また多くの友人もいました。さらに自分で他の宗教を調べたことさえあります。事情は変わり,結婚し,やがて子供が生まれ,それとともに責任も生じてきました。彼はさらに語りました。「それから,ある日,親類のひとりを訪ねました。人に畏敬の念をいだかせるほどの真理の美しさと霊妙さに深く心を打たれたのはこの時でした。その親類は聖書研究を行なっていました。そしてその研究を司会していた兄弟こそ,私が16年前に会った兄弟たちのひとりだったのです。その当時これらの兄弟たちが私を羊のおりに引きもどそうとしていたので,彼らを非難したものでした。この研究に同席した私はことばを出す気にもなれないまま,研究の間中黙って話を聞いていました。そして研究を始めた遠い昔を振り返えって考えてみました。そしてその時以来今まで本当の満足あるいは,心の喜びを味わったことが一度もないことに気づいたのです。その兄弟の親切さと忍耐そして他の人を助けたいという願いに深く感動しました。つまりその兄弟はしようと思えば,私を激しく非難することもできたのです。今は,もう帰りたいという気持で一杯になりました。その3週間後,私は再びその研究に参加しました。その時,御国会館の集会に出席するようすすめられました」。こうして,これから後は,あの暖かさに溢れた人の心を動かす放とうむすこの劇が再現されたのです。兄弟たちの多くは彼を見たこともありませんでしたが,暖かく迎えました。では彼の心を特に動かしたのはどんな事柄でしたか。彼はこう述べました。「暖かい雰囲気と兄弟たちの親しい親切な態度に接して,自責の念は私の心からすべて消え去りました」。しかしここで兄弟たちをさらに喜ばせたのは,彼が妻と7人の子供を伴い,その他に自分の肉身の兄弟とその妻および子供たち,さらに他の親類たちをも一緒に連れて集会に来たことでした。その上,他にもまだ幾人かの親類が来ることになっていますと彼は告げました。現在まですでにこれらの人々のうち4人が浸礼を受けました。それほど長い期間交わりをやめる理由はまったく何もありません。
ニューギニア
伝道者最高数: 286人
人口: 1,268,318人
比率: 4,435人に1人
最近二,三年間にニューギニアのエホバの証人の数は著しく増加しました。これら大勢の新しい人々が最近交わってきたことを考えれば,今年の増加率が低くても驚くにはおよびません。各会衆では,組織にすぐ交わっても,考え方や行ないを実際にまだ変えていない人々を見分けるため多くの努力が払われねばなりませんでした。神よりも肉の快楽を愛したものも多く,不道徳の問題でこれらの人々は排斥されました。自分を変化させようと願わない人々を除き去ることにより新しい年にはエホバの聖霊が兄弟たちの上に自由に働くことでしょう。また,神権的な知らせを人々に伝えるため招待を受けなくとも家から家を訪問することは合法的であるという判決が下され,この勝訴によって伝道のわざを押し進めようとの兄弟たちの決意はかつてなかったほど強められました。
エホバの証人が神のみことばの原則に従順に従い,「つるぎを打ちかえて,すきとし,そのやりを打ちかえて,かまとし」ているという事実は,弧立したある群れで奉仕したひとりの巡回のしもべから寄せられた次のような最近の経験からわかります。「私の訪問中,御国会館での公開講演に,かつて互いに烈しく憎み合っていた二人の人が出席しました。以前クナイ草原の道でこの二人が出合った時のこと,両人はおのをふりかざしてはげしく争い,重傷を負ってともに病院へ運ばれました。その後,二人は御国のしらせの伝道に接し,その結果互いに平和に暮すことの大切さを学んだのです。そしてこの二人は今,御国会館の集会にきて,並んで席につくようになりました」。