魂を得るに至る信仰を行いにあらわす
日本
人口: 94,870,000人
伝道者最高数: 2,491人
比率: 38,085人に1人
日本における御国の良いたよりの宣明は毎年,前年よりもよい成果をあげているようです。報告の示すところによると,今年もまたエホバは,「いざわれらエホバの山に登りヤコブの神の家にゆかん,神われらにその道をおしへ給はん,われらその路をあゆむべし」という人々をたくさん集めておられます。(イザヤ 2:3)善意をもつ人々は,絶え間なくエホバの制度に流れ込んでおり,日本において神の御国の良いたよりを伝える人々は,この6年間,毎年20パーセント以上増加しています。雑誌の配布もめざましいものがあります。会衆の伝道者たちは,目標の12冊を突破して,1年の間,毎月平均12.7冊を配布してきました。開拓者は平均117冊,特別開拓者は156.3冊配布しました。また,会衆の伝道者たちが,少なくとも平均10時間を奉仕にささげたのは,日本で伝道活動が始まって以来3回目です。これによって私たちは,兄弟たちが円熟しつつあること,また真理と,真理を広く宣べ伝える必要性に対する認識を深めていることを知ります。1962奉仕年度中に,日本の平均伝道者数の12パーセントが,開拓奉仕を行なって,283名という新最高数に達したこともまた喜びでした。東京の支部は,日本と沖縄における伝道活動に関係した次のような興味深い経験を報告しています。
神道の国日本では,宮守の職はしばしば世襲的なものになっています。きまった時間に太鼓をたたくという何百年もつづけられてきた仕事や,神殿のそうじをすることなども,その宮守の特権です。さて,四国のある神社の太鼓の音は聞こえなくなってしまいました。また神殿もほこりにまみれています。もしその理由を町の人に聞いてみるなら,それは宮守が,キリスト教の聖書を研究するために,先祖代々受け継がれてきた職を捨てたからだと言うでしょう。その婦人はいま,エホバの御国を定期的に宣べ伝える者として,またエホバの証者と交わる者として,もっと重要な仕事をもっています。
先祖伝来の宗教から真の宗教にかわるさいに,ある人々は,家庭内のたいへんな障害を乗り越えなければなりません。ある新しい姉妹は,5人の子供たちに聖書を教えようとして,主人に激しく反対されました。夫は家計費を出さなくなりました。そのため,その姉妹と子供たちは,1週間,塩と味噌だけで食事をしました。遂に別居の話がもち上りました。子供たちをいずれの側が引き取るか,協議の結果,子供たちの意志にまかせることになりました。塩と味噌しかないお母さんにつくか,ごちそうを食ベさせてくれるお父さんにつくか自分で決めなさい,と言い渡された子供たちは,いっせいに,お母さんの方に行く,と即座に決定しました。そこで父親はあきらめ,別居も思いとどまり,いまでは,みんなが集会に出るのをゆるしています。2人か3人の子供はバプテスマを受け,いちばん上の子供は,休暇開拓奉仕をしました。
年とった人々はどうでしょうか。エホバの証者と聖書の勉強をしている73歳のお医者さんは,ある巡回大会に出席しました。その人は大会を非常によろこんで,つぎのように語りました。「これこそほんとうに楽園のようですね。みんな楽しそうで,親切です。そして若い人たちは,いまのほかの若い人たちと違っていますね。私のような年寄にまで親しみ深く親切です。仏教のお寺には何年も行きましたが,とても陰気で,この大会のようなところはありません」。その人は土曜日に戸別伝道に参加し,伝道している時に,引退した判事で,83歳になる昔の友人に出合いました。それで,大会に出席するように誘ったところ,その人は,日曜日の午後ずっと出席しました。
京都では,82歳の姉妹が,この夏休暇開拓奉仕に参加しました。巡回の僕の訪問中は毎日伝道して,その週に雑誌を62冊も配布し,1ヵ月間には170冊配布しました。
長崎市の85歳の新しい伝道者は,次のように述懐しています。「ほんとうに狭い心でした。先祖や日本の神をおがむ愚かな信仰でしたが,宇宙の神全人類の神を崇拝することをこの年になって知り,この喜びを何と表わしてよいか,口では言えません」。真の崇拝を支持して,この年老いた姉妹は,神棚も仏壇も片付けてしまいました。
中部日本のある高校の校長は,非常に敬虔な人でした。そして,「どうぞだれかをつかわして真理を教えてください」と一生懸命に祈っていました。二,三日後,特別開拓者がその人のげんかんを訪れました。さっそく定期的な聖書研究が始まり,この研究によってその人は大きな励ましを受けました。はじめて出席した記念式からも深い感銘を受け,その翌日,「楽園にたばこ屋はないですね」と言いながら,たばこをやめたことを話しました。次の巡回大会ではバプテスマ受け,昨年の夏は,休暇開拓者として,だれにも割当てられていない区域で伝道しました。
今奉仕年度は,日本の四つの主な島の人々が集まるのに便利な場所で開かれた,四つの連続の地域大会で幕を閉じました。この大会への出席を予定していたある伝道者は ― 彼女にとって初めての大きな大会 ― 1週間まえになって夫が失業したために,行けなくなってがっかりしました。新しいぼうしを買うためにお金をためていたもう一人の伝道者は,ぼうしを買うかわりにそのお金をその姉妹にあげることにしました。またほかの人たちも親切に援助しました。その姉妹は,結局大会に行けることになったので大いに喜び,エホバのご親切に感謝しました。大会では,多くの開拓者たちと話しあい,いまでは彼女も開拓奉仕をすることを希望しています。
109人のバプテスマを受けた人々をも含めて,2154人の大会出席者たちは,新たな元気を得て翌奉仕年度への備えをし,「来年は京都でお会いしましょう」という喜びに満ちた別れの言葉を告げて帰途につきました。1963年に,モダンな京都会館で開かれる国際大会が,日本にとって,1963年の最高潮となることはいうまでもありません。
沖縄
人口: 868,000人
伝道者最高数: 162人
比率: 5,358人に1人
ある中学校の教師は,生徒たちに証言する機会をつかむことをいつも心がけています。「だれが神か」という質問をすると,「日蓮」,「先祖」,「イエス・キリスト」というふうにさまざまな答えがとび出します。そこで彼女はエホバについて話します。しかし,彼女の問題は,子供たちとの聖書の研究です。学校でそれをすることは規定によって禁止されているからです。そこで,来たい者だけ自分の家に招き,ほかに2人の伝道者の助けを借りて,8人の生徒と綿密な聖書の研究をしました。その生徒のうちのひとりはいま定期的な伝道者となっており,現在では10人が ― そのうちのいく人かは家族の反対に会っている ― 勉強しています。そして5人が,その教師と一緒に地域大会に出席しました。
エホバへの奉仕に献身したひとりの婦人は,仏壇にはもう何もそなえることはできません,とご主人に告げました。ご主人は長男なので家には先祖の仏壇がありました。先祖の霊が戻るといわれている「お盆」が来て,一族がその家に集まった時,その人は,お客さんに茶果を出しましたが,仏壇には何も供えませんした。それで集まった人たちはたいへん腹を立て,家族会議を開いて,長男に嫁を離婚するよう要求しました。ところがご主人は,家にくるエホバの証者が,エホバに奉仕しながらどのように幸福な家庭を築くかについて,聖書にもとづいたよい助言を妻に与えていたのを以前耳にしたことがあったので,家庭をこわしたくないこと,また妻を支持することを,家族会議に告げました。いまではそのご主人も聖書の研究をしており,奥さんや子供たちと地域大会に出席しました。
その地域大会は,沖縄で開かれた大会の中で,いちばん大きい,そして最もよく組織された,いちばんたのしい大会でした。公開講演には291人が出席し,9人が海でバプテスマを受けました。その受洗者の中に年のいった婦人がひとりいましたが,この人は,77歳の伝道者から伝道され,聖書を教えられたのです。そのお年寄の伝道者は,ほかに6人のお年寄の伝道者と一緒に大会にきました。みんなその人から伝道されたのです。そしてみんな,「私はもう年寄で勉強などできません」という人々に良いお手本になっています。