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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1961
塔61 7/1 415ページ

読者よりの質問

● 1960年12月1日号の「ものみの塔」には,五旬節にクリスチャン会衆が始まったとき,「聖書の残りの27冊を…書いた8人のユダヤ人信者のうち6人がそこにいました」と書かれています。そこにいなかった者のひとりはもちろんパウロでしたが,もうひとりはだれでしたか。―インドネシアの一読者より

使徒行伝 1章の13,14節によると,クリスチャン・ギリシャ語聖書の記述者たちと,使徒マタイ,ヨハネ,ペテロがそこにいたことは明らかです。なぜなら,そこには忠実な使徒たちの名前が全部あげられているからです。そして,イエスの兄弟たち,もしくは異父弟たちもいたと書かれていますから,ヤコブとユダもそこにいたことになります。マルコが早くから信者であったと信じてよい理由は二つあります。ひとつは,イエスが裏切られた晩に逃げていったうすぎの若者が,マルコであったらしいこと。なぜなら,この出来事を述べているのはマルコだけであり,その者がマルコ以外の者であったなら,マルコはその者の名前を示したに違いないからです。第二に,マルコの母の家は,崇拝の場所として初期クリスチャンたちに使われました。そのことは,母親とむすこのマルコの両方が,イエスの死なれるまえにイエスの追随者になっていたことを示すようです。―マルコ 14:51,52。使行 12:12。

こうなると,のこるのはパウロのほかにルカだけとなります。彼が,五旬節に恐らくそこにいなかったということは,彼の福音書の冒頭の言葉で明らかです。というのは彼は,「最初から親しく見た人々……御言に仕えた人々」のことを語って,彼が目撃者でなかったことを示しているからです。そのうえ,「私たち」という人称代名詞を通してルカが初めて出てくるのは,後に使徒パウロになったサウロの改宗後にすぎません。―ルカ 1:2。使行 16:10。

● 死の記念式を制定し,追随者たちと御国契約を結ぶにあたって,イエスはパンを食べ,ぶどう酒を飲みましたか。―アメリカの一読者より

これらの表象物についてイエスはこう言われました,「取って食べよ。これは私のからだを意味する」。「あなた方は,みなこの杯から飲みなさい」。ですから,イエスが,彼自身の肉体を象徴するパンを食べ,彼自身の血を象徴するぶどう酒を飲んだと考えるのは不合理に思われます。それで,決定的な解答を与えてくれる聖句が聖書になくても,こういう結論を下す方が合理的であり論理的です。―マタイ 26:26,27。

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